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“稲妻戦士”木村健悟について語ってみたい!その②

この記事は約 4 分で読めます

“稲妻戦士”木村健悟について語ってみたい!その②

木村健悟についてぬぉぉ~と語っていたら、一回で終わらなかったので、後編です!!

 

 

本題に入るまえに健悟の副業について触れておきますか・・・。

 

 

健悟は実はレコードデビューしていたんですね~。

 

これはプロレスファンの間では有名ですよね!!

 

しかし、売れなかったです・・・

 

甘いルックスと美声だったのですが、いまいちでしたね。

 

 

更に、引退後はあの円天興行の社長になったというニュースは
久しぶりに健悟の名前を聞いたのに残念でしたが。

 

 

その後、聞いたのは品川区議員当選だったので、良かったです。

 

 

他にもリサイクル会社を経営したりしていました。

割と経営的な才覚に目覚めたといった所だったのでしょうか。

 

 

プロレスラーとしての木村は不器用な男という

イメージもありますが、実は多才だったという所ですね!

 

 

それでは、後半です。

 

 

 

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木村健悟には不遇だった?ヘビー級戦線!!

 

 

木村健悟には不遇の時代が幾度もありました。

 

 

藤波のヘビー転向に伴い、ある程度Jrで成功を収め
ヘビーへ転向するもあまりぱっとしない時代が続きます。

 

 

特に第一次UWFでの抗争では、評価がガタ落ちでした。

当時のファンからは蹴りに対して逃げ腰だったという評判でした。

 

 

これがスタイルだったのかもしれませんが、弱さが出ていましたね。

 

 

UWF抗争後TPG(たけしプロレス軍)では
明らかに格下扱いに「たけし、俺が相手じゃ不満か」と吼えるも不完全燃焼。

 

 

その後、ブロディーとのタッグ対決では不本意な反則勝ち・・・と続き、

なかなかいい所が見せられませんでした。

 

しかし、そんな事だけではありません!

 

 

木村健悟の名勝負戦再度!!

 

 

さて、健悟の名勝負戦です。

 

 

不遇なヘビー時代でしたが、感動させられる試合もありました。

 

 

それがタッグリーグ戦での猪木・坂口組との対戦でした。

 

 

藤波と組んだこの試合は当初同点で並んだ
2チームの勝った方がブロディー・スヌーカと対戦する予定でしたが、
二人の全日移籍で決勝戦となりました。

 

 

二人の師匠に対して血気盛んに攻めていきます。

 

 

更に坂口はこの時足を負傷していましたが、
徹底的に狙い戦意消失まで追い込み、
最後は藤波のドラゴンスープレックスで
猪木からピン勝ちという感動の結末が待っていました。

 

感動しましたね!!

 

 

しかし、その後木村はまたもや低迷期を迎えたかに見えました・・・が!!

 

 

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反選手会同盟の結成は木村に訪れた転機だった!?

 

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しかしここで不遇だった木村に転機が訪れます。

 

 

それは越中と小林が勝手な行動により新日よりペナルティーを受けた事による、
反選手会同盟の結成でした。(後の平成維震軍)

 

 

ここでの健悟の役割は副将であり、参謀でした。

 

 

水を得た魚のように試合をする健悟の様子は良かったと思えるものでした。

 

 

ここ時もハイライトはいくつかありますが、対天龍戦を挙げたいと思います!

 

 

MR.プロレス天龍に積極的に向かっていく姿勢は本当に気持ちが良く、
稲妻も積極的に仕掛け、解説のマサ斉藤が「一皮むけた」と絶賛していました。

 

 

そして天龍へのパワーボムはハイライトでした。

 

 

しかし、最後は力尽き天龍のパワーボムに屈しましたが、
名勝負と呼べるものでしたね!

(青柳と斉藤の関与がなければもっと良かった!)

 

 

 

 

そして、更にもう少し時が流れてから実現した

もうひとつの名勝負、名場面は藤波との再タッグ結成でした!

 

お互い立場が敵対していた中で、藤波の呼びかけに応える形でタッグを結成しました。

 

これは勝負というより入場シーンにドラマが待っていました。

 

いつもの維震軍の赤い服に身を包んでいたのでしたが、
入場して赤のパンタロンを脱ぐと、そこには
なんと黒いショートパンツと黒の足のサポーターの木村健悟がいたんですね。

 

 

これだけで感涙物でした!

 

やはり健悟はこの格好だよ!! と思いましたね~。

 

 

結果は勝ち、ベルトを巻きましたが、
内容よりも個人的にはこの入場シーンが印象的でした。

 

 

健悟にとって平成維震軍は救いの神でした。

 

 

その後は体力の訪れとともに引退、解説を務め、

新日本プロレススカウト部長(?)の様な肩書で

スカウティングもやっていましたね。

 

 

“稲妻戦士”木村健悟ヒストリー、最後に。

 

 

木村健悟を評して付き人であった武藤は凄く楽だったと言うほど、
穏やかな人物というのはイメージ通りですが、
実はキレると誰も手が付けられなかったようです。

 

 

先日藤波と健悟で“ワンデイマッチ30周年トークショー”が行われ、
藤波と和やかに話していたというニュースを聞くと、
盟友という言葉を思い出しました。

 

 

健悟は目立たなかったとしても藤波には欠かせないタッグパートナーだったのです。

 

 

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藤波の歴史の中でタッグパートナーと言えば健悟しかいなかったと思います。

 

 

木村健悟のプロレス人生は人を立てるレスラー人生だったと思えます。

 

 

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“稲妻戦士”木村健悟について語ってみたい!

この記事は約 4 分で読めます

“稲妻戦士”木村健悟について語ってみたい!

さて、プロレスを見ていると、
その人のスタイルがあるという事に気付く事は多いはず!!

 

 

受け身型(藤波や蝶野)、攻撃型(長州、橋本)
という風に大きく分ける事が出来ますよね!!

 

 

そこで損をするのは、受け身型です。

 

何か相手の攻撃を受けっぱなしで、

弱い印象を与える事があります・・・。

 

(受け身型でも上手く試合を進めていると強さは見えるのですが・・・)

 

 

そこで!!

 

 

ここで取り上げたいのが“稲妻戦士”木村健悟(健吾)です。

 

 

木村の印象ってどうだったかなと思うと、
強いというよりは、いつの間にか勝ってるという印象(?)でしたね。

 

 

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木村健悟のプロフィールは波乱万丈

 

 

実は木村健悟は相撲出身なんですね~。かなり意外ですよね。

 

 

スマートな印象であまり四股を踏んでいる姿は想像できません。

 

 

その後日プロ入団、新日移籍(坂口と一緒に)という手順を踏み、海外修行に出ます。

 

 

日プロからというとかなり経歴も古いですね。

 

 

そして、海外ではプエルトリコで悪名高いカルロス・コロンから
ベルトを獲っているという事は特筆すべきことです。

絶対的なプロモーターですから。

 

 

その後、“パク・チュー”というリングネーム(そういえば韓流っぽい顔)で
北米を転戦後、メキシコにも進出、

メジャータイトルも奪取するなどして凱旋帰国します。

 

 

帰国後は藤波とJrヘビー戦線を盛り上げるなどして、
自身もNWAインターJrのベルトを巻くなど順調にキャリアを発展させました。

 

 

しかし、ヘビー級に転向後はなかなかパッとした活躍も出来なかったのですが
藤波とのタッグでベルトを獲るなどしても大きなインパクトを残す事も出来ず、

言い方は悪いですが“引き立て役”の状態でした。

 

 

しかし・・・大きな転機が訪れます!!

 

 

越中や小林邦昭らが立ち上げた“反選手会同盟”に加入すると

今までの遠慮がちなファイトから、

わがままな強気なファイトを披露しました( ゚Д゚)

 

 

その後は体力の衰えから2003年に引退、色々な職を経て
現在は品川区の区議会議員に当選順調に第二の人生を歩んでいたのですが、
大病を患い手術を受けたりもしたそうです。

 

 

現在は品川区議員として活躍中です。

 

 

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木村健悟の全盛期っていつ?

 

 

木村健悟の一番輝いていた時期っていつだっただろうか!?

 

 

と考えると、うーん、はっきり分からないですね。

 

 

・・・やはりJr戦士の頃でしょうか?

 

 

藤波とのライバル物語もあったり、
チャボ・ゲレロとの名勝負もあったのですが、
ちょっと違うような気もします。

 

 

それともヘビー戦線!?

 

 

いや、藤波とのタッグでは成績を残していますが、
戦績はパッとしなかったような。

 

 

で、結論としては・・・

 

 

やはり反選手会同盟時代ではないでしょうか!!

 

 

 

何か吹っ切れたようなファイトは見ていて、
“健悟やるじゃないか”と思えました。

 

 

重荷が外れたようなそんな気がしましたね(^^)

 

 

木村健悟の名勝負戦はやはり藤波との対戦!!

 

 

木村健悟の名勝負と言えば、やはり藤波絡みではないでしょうか。

 

 

伝説のワンマッチ興行。

 

 

執拗な藤波への対戦要求からやっと実現したのが、この対戦でした。
1987年1月14日後楽園ホールでした。

 

 

これには因縁があり、肩透かしを食らい続けた対戦では簡単に負け、
更に気合を入れた対戦ではスパナ入りの稲妻レッグラリアートで勝つも
藤波で「これは何だ」と怒られるも「勝つ為には手段を選ばない」と

語った事から更に遺恨は激化。

 

 

そしてワンマッチ興行という前代未聞の戦いが始まり、
レフェリーは上田馬之助でした。

 

 

リングも特殊なリングで“痛みの伝わる”というよりは
プロレス本来のスタイルに戻ったような試合でした。

 

 

固いマットに叩きつけるボディースラムなど、
総合とは違う緊張感がありました。

 

 

健悟の攻勢は続くのですが、せっかくのボクシング戦法は上田に阻止され
更に勝負をかけた稲妻は藤波にキャッチされ、
そのまま藤波の波状攻撃についに逆エビでギブアップしてしまいます。

 

 

これは木村健悟の大勝負でした。ここで男をあげたような気がしますが、
この敗戦は大きなダメージとなり、武者修行に出ました・・・。

 

 

武者修行に出た後の木村・・・

レコードデビューした健悟の攻勢は続く!!・・・のか? 果たして!!

 

木村健悟ヒストリー、次の記事に続く!!

 

稲妻戦士”木村健悟について語ってみたい!!其の弐

 

 

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越中対高田、運命の対戦!

この記事は約 3 分で読めます

越中対高田、運命の対戦!

越中を一躍有名にしたのは
やはりUWF勢との対抗戦における
高田戦ではなかったでしょうか!

 

 

男越中というか「侍」という言葉が似合う男でした。

 

 

とにかく“耐える”という美学は
この越中の姿だったのではないでしょうか。

 

 

本日は男、越中と高田伸彦(延彦)の
絡みについて書いていきます!

 
 

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不完全燃焼感があったヘビー路線の新日とUWF

 

 

長州率いる維新軍が新日での役目を終えて、
全日へと大量移籍した新日本に現れた第一次UWFの面々。

 

 

新日とUWFでのどちらが本当のストロングプロレスかという
興味が増し、いやが応にも注目は集めました。

 

 

しかし、実際ファンが見たかったのは猪木対前田でしたが、
中々実現する事はなかったのでした。

 

 

そして新日勢はUWFのキックと関節というスタイルに中々適応できずに、
新日は弱いという考えが広がっていきました。

 

 

それに猪木と前田という対戦は組まれる事もなく、
なぜか猪木対藤原戦が多かったのも事実でした。

 

 

そんな中ヘビー戦線で全面に出たのは藤波です。

 

 

後世に伝えられる名勝負「藤波 対 前田」は
壮絶な戦いの記憶を残し、新日ファンの一定の満足度は得られました。

 

 

後に前田は「藤波さんが戦ってくれたから助かった」とまで言っていました。
しかし、ヘビー戦線は不完全燃焼感はありました。

 

 

Jrという枠は超えた

 

 

そんな中、Jr戦線ではUWFの高田・山崎と誰が戦うかという問題が発生しました。

 

 

当時山田(ライガー)も若手で適任者がいない中、
タッグなどで対戦していたのはIWGPJrチャンピオン越中でした。

 

 

そして結果としてキックというあまり慣れない攻撃に対し
越中は“人間サンバッグ”と化したのです。

 

 

とにかく蹴られて、蹴られて、そんな越中はその当時は辛かったのではと思います。

 

 

しかし、ここで終わらないのが侍越中です。
その攻撃に耐えて反撃をするようになるのです。

 

 

初対決では越中が呆気なく倒された背景もあり、
UWFには勝てないという気持ちが強い中、二回目の対決では両者リングアウト、

 

 

そしてとうとう越中が高田にフォール勝ちすると言う所まできました。

その後は一進一退の戦いが続きます。

 

これは越中だけでなく高田にとっても重要な戦いだったと思います。
身を削るような戦いはJrという戦いは超えたと思います。

 

 

初めは失笑されていた越中の“ヒップアタック”も認知されていきます。

そしてその戦いは二人のタッグという形までいきます。

 

 

これはブロディーとスヌーカの突然の離脱により、
空いた席に越中・高田組が組み込まれた形でした。

 

そのタッグの全力投球で試合をこなす姿は清々しい限りでした。

 

後に再度の対戦となる越中と高田

 

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そして時は流れ、
新日に乗り込みIWGPヘビーのベルトを獲った高田と越中が対戦しました。

この試合も熱戦でした。

 

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高田のキック、越中のヒップアタックなど持ち味を発揮した結果、
最後はハイキックからの腕ひしぎ逆十字で高田の勝利!

 

 

その後のインタビューで高田が語った事が越中の全てを表しています。
“逃げなかった”との越中評は高田対越中の対戦の全てだったと思います。

 

 

UWFが来た時に越中が逃げていたら
今の高田も越中もなかったのではないでしょうか。

 

 

この言葉が全てでしたし、敵地UWFインターのリングにも拘わらず、

 

 

大越中コールはその評価の現れでした。

 

 

ヘビーを超える興奮を与えたJr戦士

 

 

越中対高田戦は「Jrでもヘビーを超える戦いが出来る」
という証明ではなかったでしょうか。

 

 

Jrでは藤波、初代タイガー、小林、ダイナマイト・キッドなどがいたのですが、
そういった戦いとは一線を博す戦いだったと思います。

 

 

何か異種格闘技のような絶妙な緊張感・・・
それが興奮を呼び、Uと新日の抗争を超えた戦いとなりました。

 

 

今でも試合映像を見るとシンプルでいて、
また興奮する戦いだと感じます。

 

「越中 対 高田」プロレスファンなら押さえるべき
名勝負と言えるでしょう!

 

 

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君はサムライ越中詩郎を知っているか? 男なら越中に刮目せよ!

この記事は約 4 分で読めます

君はサムライ越中詩郎を知っているか? 男なら越中に刮目せよ!

最近お笑い芸人、ケンドー・コバヤシさんの
越中さんのモノマネを見る機会があり、
モノマネのクオリティーに感動を覚えました。

 

 

長州や猪木、馬場(古いですが)のモノマネって多いですが、
越中詩郎というマニアックなチョイスとは恐れ入ります。

 

 

猪木のモノマネ芸人も自身が相当な「猪木信者」な訳で
ただ一般ウケを考えてモノマネ対象を選んでいる訳ではないでしょうが、
それにしても越中では世間のプロレスを知らない人には
殆どなんの事やら分かりません。

 

 

まぁ、この「細かすぎて伝わらない」系が
虐げられているマニアックなプロレスファン魂を刺激して
そのアツさが支持されているんでしょうねぇ(笑)

 

 

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そしてそのアツさはプロレス界に逆流、ケンコバの芸人としてのブレイクと共に
プロレスを知らない一般の人までもが認知するプロレスラーとなりました。

 

 

プロレスファンの間では別として、それ以外の

“世間一般”に対する認知度としては

ケンコバの貢献度は相当なものがあるでしょうね(笑)

 

 

さて、ヒップアタックの越中、また高田との抗争など
越中を語ると長くなりそうですが、
ちょっとお付き合いして頂ければと思います!

越中は結構な苦労人です。

 

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越中詩郎のキャリアは波乱万丈

 

 

越中は新日の選手というイメージが多いのですが、
実はデビューは全日なのです。

 

 

ルー・テーズ杯であの三沢を破り優勝するなど将来有望な若手でした。
その勢いそのままにメキシコへと遠征に行きます。

 

 

そこで“サムライシロー”として活躍します。
この時に今のコスチュームになりました。

 

 

とここまでいいのですが、
その後全日フロントから三沢を2代目タイガーマスクとして
デビューさせる為に空港まで送るという屈辱を味わいます。

 

 

koshinaka_misawa
2003年12月6日 横浜文化体育館 特別試合http://www.noah.co.jp/gv2015hiroshima/topics/detail/14

 

 

 

しかし拾う神は新日の坂口でした。

そこで電撃移籍となる訳ですが、ここからが泣ける話です。

 

 

越中は筋を通す為に馬場に挨拶するも却下。

 

 

そこで間を持ったのが天龍で、
更に餞別を大量に挙げたという事です。どちらも男気です。

 

 

その後、新日に上がると当時隆盛を究めていた
UWF勢との抗争に正面切って飛び出し、
高田との勝負は名勝負ばかりでした。

 

 

“耐える美学”とも言われた越中の戦い方で
全日とは違うキック・関節技を中心とした
UWFのスタイルに真っ向勝負する姿は涙物でした。

 

 

その後ヘビーへと転向、更なる飛躍として
誠心会館との抗争も真っ向勝負でしたが、
誠心会館の自主興行に勝手に参加して新日の怒りを買うと
反選手会同盟結成へと向かいます。

 

 

小林邦昭、木村健吾など有志と活動するも尻切れになり、
その後は天龍と組んだり長州のWJプロレス、
フリーとなりましたが、その心意気は失われる事無く
今でもリアルプロレスなどでその雄姿を見せてくれます。
古き良きプロレスラーです。

 

 

越中と高田の出会いは運命だった

 

koshinaka_takada

 

 

UWFというと当時の新日では敬遠される存在でした。

 

 

蹴り・関節という道場プロレスをそのままリングに持ち込んだものの
一般的なプロレスとは違った為に対戦を敬遠する選手もいました。(Kさんとか)

 

 

ただ、星野勘太郎や上田馬之助などシュート組というか
腕に憶えアリ系は輝いたのも事実です。

 

 

そんな中藤波と越中はUWF勢からも高評価を得ています。
(後に前田は藤波さんが受けてくれて良かったとも語っています。)

そしてもう一人越中です。

 

 

当然アメリカスタイルともメキシコスタイルとも違う
Uスタイルに適応するまで相当な時間を要しましたが、
その後は持ち前の受けの良さで試合を盛り上げて行きます。

 

 

そして、高田との運命の出会いは更に越中の評価を上げました。
自身を削るようなギリギリの戦いは名勝負数え唄Jr版とも言われ
大変熱い物でした。一重に越中の引き出しの多さではないでしょうか。

 

 

ロープに飛ばないUWFにヒップアタックとは
考えられない荒業だったと思います。

 

 

その後、抗争中にも拘わらずタッグも組みました。

 

 

リーグ戦の空チームの枠とは云え
緊張感溢れるタッグは見ていて大変興味深かったです。
(タッチはビンタでしたし)

 

 

これは新日の黄金カードの1つでした。

 

 

平成維震軍で頭となる

 

 

hannsensyukaidoumei

 

UWFとの抗争を経て落ち着いたかと思いきや、
今度は誠心会館との抗争がスタートします。

 

 

そのまま、拳で分かり合うという形で
誠心会館の興行に勝手に参加した事でペナルティーを受けるも、
それを逆手にとり反選手会同盟から平成維震軍として活動します。

 

 

その課程には長州維新軍との対決もありました。
初めは調子よく自主興行を行ったりしていたものの、
あまり新日と変わらない興行スタイルに
剛竜馬に“これでいいのか”と言われる始末になり解散します。

 

 

しかし、平成維震軍によって救われた選手もいました。

 

 

藤波の引き立て役となっていた木村健吾や
バックドロップは抜群なのになぜかブレイクできない後藤、
イマイチ一皮剥けない小原にとっては良かったかもしれません。

 

 

越中の人柄だとは思いますが、
人を引き立てる(輝かせる)能力には長けているような気がします。

 

 

不器用だけど熱い、男の生き様を見せつけてくれる越中には

プロレスファンがプロレスを好きになる理由が

そのまま凝縮されている気がしてなりません。

 

 

プロレスファンならド演歌ファイター・越中を

好きにならずにはいられないでしょう!

 

 

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武藤敬司の入場はホールドアウト派?トライアンフ派?

この記事は約 3 分で読めます

武藤敬司の入場はホールドアウト派?トライアンフ派?

武藤敬司。

 

 

武藤といったらナチュラルボーンマスター。

 

 

天才と言われるプロレスラーである!

 

 

ただ個人的にはあまりこの「天才」という

 

武藤のニックネームはしっくり来ていない。

 

 

ちょっとどの辺りが天才なのか、あんまりよく分からないのだ。

 

 

なんとなく、プロレス界的にはそういう事になっているが!!

 

 

個人的には武藤は天才じゃなくて「刑事」である。

 

 

子供心に、名前の響きが「むとう刑事」って

 

 

「なかむら先生!」みたいな感じで役職付きで呼んでいる様な気がして妙だった。

 

 

ま、それはそれとして・・・

 

 

武藤の入場だったらどれが好きか?

 

 

プロレスファンは、基本はモノマネをするものだ。

 

 

真似や「ごっこ」をした事のないプロレスファンがいたら

 

それはもはやファンではないのだ!!

 

 

しかし、武藤の入場は難易度が高いと言わざるを得ない。

 

 

例えば、馳のモノマネだったら

 

コーナーに上がるのと、Tシャツを脱ぐのと、

 

「・・・ハッ!!・・・ハッ!!」

 

という甲高い声で或る程度表現は出来るが、

 

武藤はなんと入場時にロープを利用して一回転しなければならない。

 

 

こればかりは自分の脳内でイマジネーションをした所で

身体としては再現不能なのだ。

 

 

またそれを見ている第三者にしめすのが非常に難しい。

 

 

・・・という訳で、武藤のモノマネは

ロープ以外のムーヴが必要なのだ。

 

 

そういった意味では、神奈月のモノマネはどちらかというと

 

後半のスキンヘッド以降の武藤のモノマネなので

 

低空ドロップキックとシャイニングウィザード、

 

そして指ポーズ(ウルフパック?)中心であり、

 

やりやすいと言えばやりやすい。

 

 

初心者が武藤のモノマネをするなら

スキンヘッド以降の時代から入るのが良いという事だ。

 

 

そう、武藤の歩んできた時代と

モノマネのレベルは順番が一致しないのだ。

 

 

順番が前後すると言えば、あたかも映画スターウォーズシリーズが

456、から制作され、

後の時代に123、そして7以降が制作されるかの様だ。

 

 

まさか武藤! 天才は時代すらも読んでいたというのか!?

 

いや、そんな事はないだろう、多分。

 

 

武藤敬司入場

 

ロープの反動確かめ~の。

 

 

武藤敬司入場2

 

アピール大好き!!(笑)

 

肌のハリもメッチャ良い!!

 

 

武藤敬司入場3

 

武藤敬司入場4

 

 

みんなこの瞬間に合わせてフラッシュが!!

 

 

武藤敬司入場5

 

武藤敬司入場6

 

 

ふ~んわり!!

 

 

 

それを見る橋本&ノガちゃん。(笑)

 

 

 

武藤の入場はホールドアウト!!

 

 

武藤の入場、ホールドアウトは

最初の重低音の部分がなんとも言えない。

 

 

それとテンポも4拍子というのに合わせて、

武藤の名前も3文字だから武藤コールも

「むっとーう、むっとーう」のリズムでハマる!!

 

 

これほど多くのプロレスファンが知り、愛されている

テーマ曲もないのではないだろうか。

 

 

中村的にはやはり

イヤホンや高音質のヘッドホンを使用して

目をつぶっての鑑賞が最高だ。

 

 

武藤のテーマ曲に限らずだが、

プロレスの入場テーマ曲は音楽だけで鑑賞に堪えうる。

 

 

目を閉じてなり切れば自分が主役になれるのだ。

 

 

しかし、悲しいかな、ロープ使っての入場は・・・出来ない・・・!!

 

 

武藤のテーマ曲、トライアンフ。

 

 

武藤のテーマ曲でホールドアウトと並んで

有名な入場テーマが「トライアンフ」である!

 

 

これもあまりにもホールドアウトが武藤のイメージに

ハマり過ぎだった為、当初変更されたばかりの時は

違和感があり、かなりファンの間でも動揺があったと思う。

 

 

これはひげ面の武藤が橋本を倒して

「武藤敬司はバク進します!!」の宣言以降だった。

 

 

IWGPヘビー級王者になり、ガウンをまとって、

それまでの明るく、若々しいキャラクターから、

貫禄を見せる形に移行したのと同時だったから

今思えばあれはあれで正解だったのかも知れない。

 

 

ホールドアウトからの違和感はハンパなかったが

最終的にトライアンフもかなりファンの間では愛される様になった。

 

 

取りあえず散歩したり歩いている時は

トライアンフさえ聞きながら歩けば、

いつまでも苦も無く歩いていける。

 

 

 

10.9東京ドーム!!

 

 

これが一番!!

 

 

 

武藤敬司入場9

 

こんなカッコイイ入場ってあるかい??

 

 

 

ホールドアウトは馳と共にハシャぎながら。

 

 

トライアンフはゆっくりと。

 

 

東京ドームの花道、それも対高田延彦戦辺りを

思い浮かべながらが一番だ。

 

 

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