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プロレス名勝負数え唄

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引退したスタン・ハンセン、名勝負の話をしたウィー!!

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引退したスタン・ハンセン、名勝負の話をしたウィー!!

「ラリアット」って最近ではいろんな進化形が出てきましたね!!

 

 

至近距離や短距離などヴァリエーションが増えましたが・・・

 

 

何か物足りない!! そう思います。

 

 

それは何故か!? やはりなぎ倒す気迫でしょうか・・・

 

 

と、その意味では、「元祖ラリアット」スタン・ハンセンの
ラリアットは一味違ったのは本家の強みでしょう。

 

 

という事でハンセンについて、熱く語ります!

 

 

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スタン・ハンセンのデビュー、歴史!!

 

 

 

ハンセンは元々アメフトの選手で、
その後ファンク親子に指導を受けプロレスラーになりました。

 

 

同期にはジャンボ鶴田がいた事は有名な話です。

 

 

そのハンセンをスカウトしたのが
後に抗争を繰り広げるテリー・ファンクとは面白い話です。

 

 

デビューすると、ジャンボやボブ・バックランドと切磋琢磨していたそうです。

 

 

レスリングの天才2人と荒くれハンセン、面白い組み合わせです

 

 

ブロディーとのタッグで大暴れして、満を持してWWWF(現在のWWE)にて
ブルーノ・サンマルチノの首の骨をラリアットで折る
という荒業を見せました。(実際は違うようですが)

 

 

とにかくこれでハンセンの名前は知れ渡りましたが、
対戦相手がビビりアメリカでは結局花が咲きませんでした。

 

 

その後、全日に来日するもあまり、パッとしませんでした。

 

 

そして、そのハンセンが花開いたのは、新日に来日してからです。

 

 

猪木のライバルとして輝きを放ち始めると、
その後はアンドレをボディースラムで投げた伝説の田園コロシアム、
猪木との手に汗握る対決など外国人レスラートップになりました。

 

 

そして、1981年の世界最強タッグにて
ブロディー、スヌーカ組のセコンドとして全日に現れます。

 

 

(全日・新日プロレス戦争真っ最中でした)これには様々な衝撃を与えました。

 

 

そして、ハンセン黄金伝説第2章の幕開けです!!

 

 

ハンセン、日本での名勝負の数々

 

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ブロディーとの超獣コンビ、テリー・ゴディー、テッド・デビアス、

天龍とのタッグ、鶴田・天龍との対戦など
書ききれない程の名勝負を繰りひろげました。

 

 

その後一時新日に戻ると、ベイダー、ホーガンとの肉弾戦を繰り広げます。

 

 

特にホーガン戦では、緊急のカード決定にも拘わらず受けた
ハンセンの心意気にファンは心打たれました。

 

 

その後は闘魂三銃士、全日四天王とも対戦しました。

特に小橋とのラリアット合戦、川田との身を削るような戦い、
三沢との極限の戦いなど数えたらキリがありません・・・。

 

 

と、日本での活躍だけ書いていましたが、アメリカでも大変な活躍をしています。

 

 

前述のブロディーとのタッグではUSタッグ王座を獲得、
更に当時三代団体の1つ、AWA王座を獲得するなど
決して、日本だけでのヒーローではないのです。

 

 

そして、2000年に東京ドームで引退セレモニーをしました。

 

 

引退試合はハンセンは強いというイメージを壊したくないと、
満身創痍の体であった為に、行いませんでした。

(この時、新日・全日のレスラーが集合したのはハンセンの人徳でしょう)

 

 

そしてアメリカでもその評価が認められ、
2016年に3月にWWEの殿堂入りも果たします。

 

 

ハンセンに至っては、日本人レスラーのような感覚があるので素直に嬉しいです。

 

 

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怖いプロレスラー、ハンセン、実は素顔はいい人!

 

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親日家でもあるハンセン。特筆すべきはハンセンは
日本での全シリーズ、全日程消化するという異常な活躍を見せてくれましたが、
地方でのお客さんはハンセンを見れるというのは大変嬉しかったでしょうね。

 

 

また極度の近眼であったので、相手のダメージの具合が分からず、
攻撃を仕掛けた事から壊れたダンプカーと言うニックネームがついたそうです。

 

 

また観客を蹴散らすハンセンが誤ってブルロープで
観客を叩いてしまった時には、ソーリーと謝ったそうです。

 

 

ブロディーの不器用な生き方にアドバイスを送り、
鶴田がアメリカに移住したいと言えば相談に乗るなど、
本当にハンセンって素晴らしい人物です。

 

 

移籍もありましたが、ちゃんと筋を通して
違約金が発生した時にはちゃんと払っていたそうです。

 

 

外国人レスラー№1の呼び声が高いのも頷けます。

 

 

次の記事はこちら!!

元祖必殺ラリアットの使い手スタン・ハンセン!!

 

 

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君はサムライ越中詩郎を知っているか? 男なら越中に刮目せよ!

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君はサムライ越中詩郎を知っているか? 男なら越中に刮目せよ!

最近お笑い芸人、ケンドー・コバヤシさんの
越中さんのモノマネを見る機会があり、
モノマネのクオリティーに感動を覚えました。

 

 

長州や猪木、馬場(古いですが)のモノマネって多いですが、
越中詩郎というマニアックなチョイスとは恐れ入ります。

 

 

猪木のモノマネ芸人も自身が相当な「猪木信者」な訳で
ただ一般ウケを考えてモノマネ対象を選んでいる訳ではないでしょうが、
それにしても越中では世間のプロレスを知らない人には
殆どなんの事やら分かりません。

 

 

まぁ、この「細かすぎて伝わらない」系が
虐げられているマニアックなプロレスファン魂を刺激して
そのアツさが支持されているんでしょうねぇ(笑)

 

 

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そしてそのアツさはプロレス界に逆流、ケンコバの芸人としてのブレイクと共に
プロレスを知らない一般の人までもが認知するプロレスラーとなりました。

 

 

プロレスファンの間では別として、それ以外の

“世間一般”に対する認知度としては

ケンコバの貢献度は相当なものがあるでしょうね(笑)

 

 

さて、ヒップアタックの越中、また高田との抗争など
越中を語ると長くなりそうですが、
ちょっとお付き合いして頂ければと思います!

越中は結構な苦労人です。

 

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越中詩郎のキャリアは波乱万丈

 

 

越中は新日の選手というイメージが多いのですが、
実はデビューは全日なのです。

 

 

ルー・テーズ杯であの三沢を破り優勝するなど将来有望な若手でした。
その勢いそのままにメキシコへと遠征に行きます。

 

 

そこで“サムライシロー”として活躍します。
この時に今のコスチュームになりました。

 

 

とここまでいいのですが、
その後全日フロントから三沢を2代目タイガーマスクとして
デビューさせる為に空港まで送るという屈辱を味わいます。

 

 

koshinaka_misawa
2003年12月6日 横浜文化体育館 特別試合http://www.noah.co.jp/gv2015hiroshima/topics/detail/14

 

 

 

しかし拾う神は新日の坂口でした。

そこで電撃移籍となる訳ですが、ここからが泣ける話です。

 

 

越中は筋を通す為に馬場に挨拶するも却下。

 

 

そこで間を持ったのが天龍で、
更に餞別を大量に挙げたという事です。どちらも男気です。

 

 

その後、新日に上がると当時隆盛を究めていた
UWF勢との抗争に正面切って飛び出し、
高田との勝負は名勝負ばかりでした。

 

 

“耐える美学”とも言われた越中の戦い方で
全日とは違うキック・関節技を中心とした
UWFのスタイルに真っ向勝負する姿は涙物でした。

 

 

その後ヘビーへと転向、更なる飛躍として
誠心会館との抗争も真っ向勝負でしたが、
誠心会館の自主興行に勝手に参加して新日の怒りを買うと
反選手会同盟結成へと向かいます。

 

 

小林邦昭、木村健吾など有志と活動するも尻切れになり、
その後は天龍と組んだり長州のWJプロレス、
フリーとなりましたが、その心意気は失われる事無く
今でもリアルプロレスなどでその雄姿を見せてくれます。
古き良きプロレスラーです。

 

 

越中と高田の出会いは運命だった

 

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UWFというと当時の新日では敬遠される存在でした。

 

 

蹴り・関節という道場プロレスをそのままリングに持ち込んだものの
一般的なプロレスとは違った為に対戦を敬遠する選手もいました。(Kさんとか)

 

 

ただ、星野勘太郎や上田馬之助などシュート組というか
腕に憶えアリ系は輝いたのも事実です。

 

 

そんな中藤波と越中はUWF勢からも高評価を得ています。
(後に前田は藤波さんが受けてくれて良かったとも語っています。)

そしてもう一人越中です。

 

 

当然アメリカスタイルともメキシコスタイルとも違う
Uスタイルに適応するまで相当な時間を要しましたが、
その後は持ち前の受けの良さで試合を盛り上げて行きます。

 

 

そして、高田との運命の出会いは更に越中の評価を上げました。
自身を削るようなギリギリの戦いは名勝負数え唄Jr版とも言われ
大変熱い物でした。一重に越中の引き出しの多さではないでしょうか。

 

 

ロープに飛ばないUWFにヒップアタックとは
考えられない荒業だったと思います。

 

 

その後、抗争中にも拘わらずタッグも組みました。

 

 

リーグ戦の空チームの枠とは云え
緊張感溢れるタッグは見ていて大変興味深かったです。
(タッチはビンタでしたし)

 

 

これは新日の黄金カードの1つでした。

 

 

平成維震軍で頭となる

 

 

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UWFとの抗争を経て落ち着いたかと思いきや、
今度は誠心会館との抗争がスタートします。

 

 

そのまま、拳で分かり合うという形で
誠心会館の興行に勝手に参加した事でペナルティーを受けるも、
それを逆手にとり反選手会同盟から平成維震軍として活動します。

 

 

その課程には長州維新軍との対決もありました。
初めは調子よく自主興行を行ったりしていたものの、
あまり新日と変わらない興行スタイルに
剛竜馬に“これでいいのか”と言われる始末になり解散します。

 

 

しかし、平成維震軍によって救われた選手もいました。

 

 

藤波の引き立て役となっていた木村健吾や
バックドロップは抜群なのになぜかブレイクできない後藤、
イマイチ一皮剥けない小原にとっては良かったかもしれません。

 

 

越中の人柄だとは思いますが、
人を引き立てる(輝かせる)能力には長けているような気がします。

 

 

不器用だけど熱い、男の生き様を見せつけてくれる越中には

プロレスファンがプロレスを好きになる理由が

そのまま凝縮されている気がしてなりません。

 

 

プロレスファンならド演歌ファイター・越中を

好きにならずにはいられないでしょう!

 

 

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