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- 小林邦昭
“サンペイちゃん”って聞いて、
ああ、あのレスラーかって分かる人は通ですね!
“サンペイちゃん”は新日のJr戦線を支えた小林邦昭のニックネームです。
小林と言えば、現在ではブログなどで見る
料理が大好評で女子力のあるプロレスラーとして有名です。
実際、ブログなどを覗くと大変おいしそうな
料理の写真がアップされている事に驚きを感じます。
小林邦昭のTwitterアカウント名もセンスの良さを感じ思わずニヤリ( ̄▽ ̄)
という訳で、今回は小林邦昭を振り返ってみましょう!!
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新日ジュニアを支えた小林邦昭とは
小林は1956年生まれの新日所属のプロレスラーでした。
現在は引退して、解説や新日の役員として現在も活躍されていますが、
実はガンを患い手術をしていた事を後日、
前田と佐山の対談の中で明かされており、現在治療中です。
さて、小林と言えば大食漢として有名で
レストランのメニューを総ナメしたとか、
あまりに食べ過ぎるので、プロレスラーになったなど
その手のエピソードには事欠きませんでした。
新日で初代タイガーとの抗争後は長州の維新軍に参加して、
更にその後のジャパンプロレスにて、
全日参戦2代目タイガーとの抗争から新日Uターン後、
誠心会館との抗争を経て、反選手会同盟(平成維震軍)に参加しました。
その後は新日正規軍やWARとの抗争などを繰り広げ、
2000年にライガー戦にて引退しています。
几帳面で真面目な人格は後輩、先輩関わらず人気を博しました。
後輩の為に飲み代のみならず送迎をこなすなど、見習うべき点は多いです。
そして、礼儀にも厳しくその事が誠心会館との抗争のスタートとなりました。
赤いマーシャルアーツのパンタロンを上手く着こなしたのは
小林邦昭だけではないでしょうか。
初代タイガーとの抗争では悪役としてブレイクしましたが、
あの赤いパンタロンを見ると、ベニー・ユキーデを思い出します。
(マーシャルアーツ=ベニー・ユキーデでしたから)
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小林邦昭と云えば・・・「虎ハンター」!
虎ハンターって言葉を知っていますか??
“虎ハンター”っていう言葉を知っているのは、昭和世代でしょう。
佐山タイガーのマスクを剥がしにくる様子は、当時はドキドキしたものでした。
ヒーローの正体がばれるというドキドキと
小林の憎らしい程のファイトスタイルは新鮮であり、
ちょっと格好いいとも思っておりました。
その後、全日に移り三沢タイガーとの抗争も始まり相変わらず虎ハンターでした。
王座決定戦だったと思いますが、
フィッシャーマンズスープレックスの改良版で勝利した時は、感動でしたね。
(その後三沢のエグイスープレックスで負けましたが、
あの技は封印される程の危険度でした)
小林と言えば新日ジュニア戦線において大変貴重な存在でした。
佐山タイガー、ダイナマイトキッド、コブラ、ライガー(デビュー戦の相手)と
時代を代表するレスラーと対戦しています。
ヘビー戦線でも野上(AKIRA)と組んでUインターと戦ったりしています。
とにかくいろんなスタイルの選手と戦っているのですが、
小林スタイルは変わらず(コスチュームは変わった事もあります)
相手に合わせつつ、自分の懐の中で試合を組み立てるといった感じでしょうか。
良く、ダークヒーローという言葉がありますが、そんな感じでした。
トラースキックからのフィッシャーマンは定番コースでした。
今でこそいろんな人が進化型を使っていますが、
いやいや、小林邦昭のフィッシャーマンが一番クールである!!
と言わせて頂きたい。
名付け親は古舘伊知郎さんらしいです。
因みに、フィッシャーマンの容量で抱え上げて垂直落下させる
ライガーの技がありましたね。
最初は技名は確か公表されてなく・・・
後に「フィッシャーマンバスター」と命名されましたが、
過激化の一途を辿る中で発案された
ワビサビの無い技という認識でいます(笑)
なんにせよ、フィッシャーマンと言えば小林邦昭。
これは間違いの無い所であります!
陰に徹した小林そして現在はSNSで表へ
マーシャルアーツという言葉を一般的にしたのは小林の功績でしょう。
情報だけのベニー・ユキーデより分かりやすかったと思います。
また、佐山タイガーの成功は小林のヒールラフファイトがあったからでしょう。
また、小林は後日長州のサポートに徹したいとも語っており、
浜口のような参謀的な役割を目指しているとも言っていましたが、
それが後の維震軍での立場で実現しています。
現在ではグルメSNSでの小林の方が有名ですが、
プロレスラー小林ももっと魅力的です。
ぜひ、YouTubeなどでチェックしてみて下さい。
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