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君はサムライ越中詩郎を知っているか? 男なら越中に刮目せよ!

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君はサムライ越中詩郎を知っているか? 男なら越中に刮目せよ!

最近お笑い芸人、ケンドー・コバヤシさんの
越中さんのモノマネを見る機会があり、
モノマネのクオリティーに感動を覚えました。

 

 

長州や猪木、馬場(古いですが)のモノマネって多いですが、
越中詩郎というマニアックなチョイスとは恐れ入ります。

 

 

猪木のモノマネ芸人も自身が相当な「猪木信者」な訳で
ただ一般ウケを考えてモノマネ対象を選んでいる訳ではないでしょうが、
それにしても越中では世間のプロレスを知らない人には
殆どなんの事やら分かりません。

 

 

まぁ、この「細かすぎて伝わらない」系が
虐げられているマニアックなプロレスファン魂を刺激して
そのアツさが支持されているんでしょうねぇ(笑)

 

 

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そしてそのアツさはプロレス界に逆流、ケンコバの芸人としてのブレイクと共に
プロレスを知らない一般の人までもが認知するプロレスラーとなりました。

 

 

プロレスファンの間では別として、それ以外の

“世間一般”に対する認知度としては

ケンコバの貢献度は相当なものがあるでしょうね(笑)

 

 

さて、ヒップアタックの越中、また高田との抗争など
越中を語ると長くなりそうですが、
ちょっとお付き合いして頂ければと思います!

越中は結構な苦労人です。

 

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越中詩郎のキャリアは波乱万丈

 

 

越中は新日の選手というイメージが多いのですが、
実はデビューは全日なのです。

 

 

ルー・テーズ杯であの三沢を破り優勝するなど将来有望な若手でした。
その勢いそのままにメキシコへと遠征に行きます。

 

 

そこで“サムライシロー”として活躍します。
この時に今のコスチュームになりました。

 

 

とここまでいいのですが、
その後全日フロントから三沢を2代目タイガーマスクとして
デビューさせる為に空港まで送るという屈辱を味わいます。

 

 

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2003年12月6日 横浜文化体育館 特別試合http://www.noah.co.jp/gv2015hiroshima/topics/detail/14

 

 

 

しかし拾う神は新日の坂口でした。

そこで電撃移籍となる訳ですが、ここからが泣ける話です。

 

 

越中は筋を通す為に馬場に挨拶するも却下。

 

 

そこで間を持ったのが天龍で、
更に餞別を大量に挙げたという事です。どちらも男気です。

 

 

その後、新日に上がると当時隆盛を究めていた
UWF勢との抗争に正面切って飛び出し、
高田との勝負は名勝負ばかりでした。

 

 

“耐える美学”とも言われた越中の戦い方で
全日とは違うキック・関節技を中心とした
UWFのスタイルに真っ向勝負する姿は涙物でした。

 

 

その後ヘビーへと転向、更なる飛躍として
誠心会館との抗争も真っ向勝負でしたが、
誠心会館の自主興行に勝手に参加して新日の怒りを買うと
反選手会同盟結成へと向かいます。

 

 

小林邦昭、木村健吾など有志と活動するも尻切れになり、
その後は天龍と組んだり長州のWJプロレス、
フリーとなりましたが、その心意気は失われる事無く
今でもリアルプロレスなどでその雄姿を見せてくれます。
古き良きプロレスラーです。

 

 

越中と高田の出会いは運命だった

 

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UWFというと当時の新日では敬遠される存在でした。

 

 

蹴り・関節という道場プロレスをそのままリングに持ち込んだものの
一般的なプロレスとは違った為に対戦を敬遠する選手もいました。(Kさんとか)

 

 

ただ、星野勘太郎や上田馬之助などシュート組というか
腕に憶えアリ系は輝いたのも事実です。

 

 

そんな中藤波と越中はUWF勢からも高評価を得ています。
(後に前田は藤波さんが受けてくれて良かったとも語っています。)

そしてもう一人越中です。

 

 

当然アメリカスタイルともメキシコスタイルとも違う
Uスタイルに適応するまで相当な時間を要しましたが、
その後は持ち前の受けの良さで試合を盛り上げて行きます。

 

 

そして、高田との運命の出会いは更に越中の評価を上げました。
自身を削るようなギリギリの戦いは名勝負数え唄Jr版とも言われ
大変熱い物でした。一重に越中の引き出しの多さではないでしょうか。

 

 

ロープに飛ばないUWFにヒップアタックとは
考えられない荒業だったと思います。

 

 

その後、抗争中にも拘わらずタッグも組みました。

 

 

リーグ戦の空チームの枠とは云え
緊張感溢れるタッグは見ていて大変興味深かったです。
(タッチはビンタでしたし)

 

 

これは新日の黄金カードの1つでした。

 

 

平成維震軍で頭となる

 

 

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UWFとの抗争を経て落ち着いたかと思いきや、
今度は誠心会館との抗争がスタートします。

 

 

そのまま、拳で分かり合うという形で
誠心会館の興行に勝手に参加した事でペナルティーを受けるも、
それを逆手にとり反選手会同盟から平成維震軍として活動します。

 

 

その課程には長州維新軍との対決もありました。
初めは調子よく自主興行を行ったりしていたものの、
あまり新日と変わらない興行スタイルに
剛竜馬に“これでいいのか”と言われる始末になり解散します。

 

 

しかし、平成維震軍によって救われた選手もいました。

 

 

藤波の引き立て役となっていた木村健吾や
バックドロップは抜群なのになぜかブレイクできない後藤、
イマイチ一皮剥けない小原にとっては良かったかもしれません。

 

 

越中の人柄だとは思いますが、
人を引き立てる(輝かせる)能力には長けているような気がします。

 

 

不器用だけど熱い、男の生き様を見せつけてくれる越中には

プロレスファンがプロレスを好きになる理由が

そのまま凝縮されている気がしてなりません。

 

 

プロレスファンならド演歌ファイター・越中を

好きにならずにはいられないでしょう!

 

 

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斎藤彰俊、遅咲きの空手家レスラーの生きざま!

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斎藤彰俊、遅咲きの空手家レスラーの生きざま!

遅咲きの格闘拳士、齋藤彰俊!!

 

 

キミは齋藤彰俊を知ってるだろうか?

 

 

ノアを主戦場としている齋藤彰俊、
皮肉な話ではあるが、三沢光晴に最期に技をかけた男として
有名という側面はあるかも知れない。

 

 

しかし、そんな齋藤彰俊も過去には

上下共に道着に身を包んだ空手家として
新日本のリングに上がっていたのだ。

 

 

斎藤彰俊は青柳政司館長と組んで誠心会館として
新日本プロレスに殴り込み。

 

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誠心会館 青柳館長

 

 

プロレス 対 空手

 

という構図の異種格闘技戦で登場した。

 

 

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今となっては総合格闘技が大晦日に放送される時代だが
この当時、総合格闘技という言葉なんてなかったし
UFCもなければバーリ・トゥードという言葉もMMAという言葉もなかった!

 

 

刺激的な対抗戦で「空手家」として衝撃的な登場を果たしたのだ。

 

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しかひ技のバリエーションが豊富なプロレスのリング上で

ひたすら蹴りと正拳突きで試合を組み立てていく様は
あれはあれで異種格闘技戦の趣きがあって観ていて面白かったのだが、
やはりプロレスラーとしては評価が低かったのかも知れない。

 

 

もしあなたが今の齋藤彰俊の姿しか知らなければ
過去の彼の姿を見たら驚くかも知れない。

 

 

正直、やられ役。

 

 

新日本VS誠心会館の抗争がひと段落して
反選手会同盟となった以降の斎藤彰俊のイメージはまさにそんな所だった。

 

 

「やられ役」正にこの言葉が哀しい程に当てはまる
ヨワヨワなイメージであったのは間違いない。

 

 

今もキック主体ではあるものの当時は

まさに空手着に身を包んだ空手家として
蹴って蹴って蹴りまくっていた。

 

 

記憶があるのはG1クライマックス。

 

 

本戦ではない試合だったと思うが
藤原組長を相手に蹴りと正拳突きの波状攻撃。

 

 

しかし蹴り脚をキャッチされスタンドのアキレス腱固めに捕らえられ
ギブアップを奪われてしまう試合があった。

 

 

残念ながら彰俊のイメージというとそんな感じなのだ。

 

 

また、パワー・ウォリアーとのシングル戦。

 

 

確か「齋藤彰俊試練の○番勝負」といったようなタイトルが付いていた気がするが、
所謂、先輩レスラーやトップレスラーの胸を借りる
といった意味合いが強い企画だったのだろう。

 

 

プロレスラーとしては圧倒的に格上になるパワーウォリアーを相手に対戦。

 

 

彰俊の蹴りを胸を突き出して受け切った後に

圧倒的なパワーでねじ伏せられて完敗・・・。

 

 

「悔しい」という感情すら奪い取られる程の
圧倒的な敗北を喫した事もあった。

 

 

そんな中でも、赤い道着を着た反選手会同盟時代から

紫を基調としたら平成維震軍になり、
青柳館長と共に生き馬の目を抜く新日マット上で逞しく生き延びてきたのだ。

 

 

hannsensyukaidoumei

 

 

個人的には齋藤彰俊は大好きなプロレスラー。

 

 

なんたって不器用な感じがするしひたむきな気がする。

 

 

ヤングライオンと同じ扱いを続けられ
第1試合で来る日も来る日も永田裕志と闘っていた・・・

 

 

しかし腐る事なくずっと斎藤彰俊のプロレスを貫き通してきたのだと思う。

 

 

逆境に立たされるプロレスラーほど応援したくなるものはない。

 

 

判官贔屓というとおかしなものかもしれないが、

彰俊はずっと昔から応援したくなるものがあったのだ。

 

 

そんな齋藤彰俊も今は腕にタトゥーを入れたり
ダーク・エージェントなる闇の代理人チームを立ち上げたりと
かつての空手家スタイルよりも大分オシャレに(笑)

 

 

良い具合に西洋かぶれになった(笑)

 

 

これは当時を知るファンからするとなんだか単純に嬉しい。

 

 

タトゥーなんか、「誠心会館の斎藤彰俊」を続けていたら

あのデザインも絶対に無理だったろう(笑)

 

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齋藤彰俊がノアに参戦する様になってから
秋山準と絡みトップ争いに食い込む様になった姿はこれ程嬉しいものはないのだ。

 

 

そして、先程書いた様にパワーウォリアーに圧倒的敗北を喫してから十数年?

 

 

再びリング上で相対した斉藤は健介に堂々と渡り合うまでに。

 

2008.11.18にはこんな光景が!

彰俊の試合の記事で「強さ」にフォーカスされるなんて・・・

 

 

saitouakitoshi_kensuke
http://www.noah.co.jp/news_detail.php?news_id=979

 

 

これには感慨深いものがあっただろうと思うし、
何より見ている我々もこんな展開が訪れるなんて夢にも思わなかった!

 

 

頑張れ! 齋藤彰俊!

 

 

三沢光晴という大きな十字架を背負ってしまったが、
これも彰俊なら必ず乗り切れる。

 

 

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