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後藤達俊&小原道由! 彷徨える狂犬「クレイジードッグス」

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後藤達俊&小原道由! 彷徨える狂犬「クレイジードッグス」

しかし長年プロレスを見ていると
この選手強いなあ! と玄人視線で見ちゃう選手っていますよね!!

 

 

ミーハーなファンは派手目なベビーフェイス系が好きでしょ?

 

 

しかしね、それだとプロレスの楽しみは半減してしまうのですよ。

憎らしい程強い、ヒール系もいいなと思います。

 

 

更にもっと突き詰めると“いぶし銀ファイター”がいます。
“いぶし銀ファイター”ってどんなだかわかります?

 

 

試合を巧く組み立てながら観客をアジテート出来る、
そんなファイターの事ですね!!

 

 

上手いだけでなく、観客を煽りながら試合するので
結構観客がヒート出来る試合を見る事が出来ます。

 

 

アメリカでいう所のニック・ボック・ウィンクル?
リック・フレアーはある意味完成系って所ですね。

 

 

日本では木戸修や藤原善明、淵あたりですかね!!

 

 

いぶし銀の代表格って言うと第一人者はどうしても
木戸修に奪われがちなんだけど、そんな中で是非語りたい、

プロレススキルの高い選手が後藤達俊と小原道由!!

 

 

結構地味なので忘れているかもしれません。
そんな二人について語ってみます。

 

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小原道由と小原道由とはどんな選手!?

 

 

後藤達俊と小原道由というと、どういう印象がありますか!?

 

 

簡単に言うと地味な選手? 特に後藤に関しては間違いないです。

 

 

しかし、見て下さい、後藤の評価の高いバックドロップ!!

 

gotou_bakkudoroppu

 

 

ジャンボ鶴田以外の選手での完成度としては、素晴らしく芸術的です。

 

 

また、小原は道場最強説と危ない男としてブレイクします。
PRIDEでは結果が出ませんでしたが、ランデルマン、
ヘンゾ・グレイシーと対戦して最後まで持った
というタフネスさは評価してもいいのではと思います。

 

 

因みに二人ともヤングライオン杯(新日若手の登竜門)でも活躍しました。

(小原は優勝、後藤は決勝に進むも怪我でキャンセル)

 

 

因みに後藤は寛水流(猪木が名誉会長)から新日本へ
小原はアニマル浜口ジムから新日本入門へとキャラ通りです。

 

 

後藤達俊と小原道由の放浪的プロレス人生

 

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後藤も小原も実力はありながら、なぜか本道に乗りきれない所がありましたね!

 

 

後藤は怪我もあって中々表へと行けなかったのですが、
保永昇男・ヒロ斉藤と“ブロンドアウトローズ”を結成すると少しブレイクします。

一方、小原も中々波に乗り切れないままプロレスを続けます。

 

 

グランド最強を引っ提げて挑んだランデルマン戦はボコボコにやられ、
健介には6秒で葬り去られるなど、中々上手くいかなかったですが、

 

 

橋本・小川戦のセコンドでの暴れっぷりは狂犬の片鱗を見せていました。

 

 

そんな二人が出会ったのは、例によって名門(笑)反選手会同盟!!

 

 

このブログの中心的軍団に所属するという

栄誉あるポジションを勝ち得たのであります!!

(なんだそりゃ・・・)

 

 

小原が新日正規軍と仲間割れして反選手会同盟に加入!
なんとなく小原自身も現状を打破しようとしていた気がします。

 

 

そして二人が立っていると何か越中などにはない反逆さがありました。

 

 

nWoジャパンに加入しようとするも、蝶野は拒否。
しかし、査定マッチで権利を勝ち取り、
更にバックドロップで蝶野を投げつけ、“犬軍団”を結成!!
思う存分暴れました。

 

 

更にその勢いでなんと越中・健介組からIWGPタッグを奪取!!
(その時のインタビューで祝杯缶ビール2本に文句を言うという

「缶ビール2本事件」も発生)

 

 

その後クレイジードッグとして活動を始めると、
星野総裁の魔界倶楽部との抗争をスタート、
エンセン井上という大物も参加して盛り上がっていったんですね~。

 

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派手目なスタイルは似合わない後藤・小原

 

 

後藤・小原共、決して派手ではないのですが、存在感のあるレスラーでした。

 

 

後藤は新日退団後は藤波の無我、天龍プロジェクトなどを渡り歩きます。

 

 

一方小原は交通事故の後遺症でプロレス引退後は
サラリーマンとして活躍しています。

 

 

ここで思うのは、派手なスタイルが似合う選手、
似合わない選手がいますがどちらもプロレスには必要な要素って事!!
どちらが欠けてもいけないんですよね。

 

 

二人のタッグの試合で安田・藤田と対戦した試合は
二人の良さが存分に見れます。

 

 

レフリーのブラインドをついての狂気攻撃から
スパナラリアットという古典的な試合を繰り広げます。

これを他の選手がやってしまうと大ブーイングですが、

この二人がやると違ったブーイングがおきます。

 

 

これが二人の魅力であり、良さですよね!!

 

 

小原道由さんは引退後サラリーマンをされていて、

 

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若干ネタにされている所もありますが、

これもファンの根強い人気あればこそと言えます!!

 

 

本当に記憶に残らないプロレスラーならこうはならないですからね・・・。

 

 

世間一般的にはともかく、玄人受けする

実力を持ったプロレスラーだった事は間違いありません。

 

 

これこそいぶし銀レスラーですね!!

 

 

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「虎ハンター」「フィッシャーマン」小林邦昭について語ってみた!

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「虎ハンター」「フィッシャーマン」小林邦昭について語ってみた!

“サンペイちゃん”って聞いて、
ああ、あのレスラーかって分かる人は通ですね!

 

 

“サンペイちゃん”は新日のJr戦線を支えた小林邦昭のニックネームです。

 

 

小林と言えば、現在ではブログなどで見る
料理が大好評で女子力のあるプロレスラーとして有名です。

 

 

実際、ブログなどを覗くと大変おいしそうな
料理の写真がアップされている事に驚きを感じます。

 

小林邦昭のTwitterアカウント名もセンスの良さを感じ思わずニヤリ( ̄▽ ̄)

 

 

 

という訳で、今回は小林邦昭を振り返ってみましょう!!

 

 

 

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新日ジュニアを支えた小林邦昭とは

 

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小林は1956年生まれの新日所属のプロレスラーでした。

 

 

現在は引退して、解説や新日の役員として現在も活躍されていますが、
実はガンを患い手術をしていた事を後日、
前田と佐山の対談の中で明かされており、現在治療中です。

 

 

さて、小林と言えば大食漢として有名で
レストランのメニューを総ナメしたとか、
あまりに食べ過ぎるので、プロレスラーになったなど
その手のエピソードには事欠きませんでした。

 

 

新日で初代タイガーとの抗争後は長州の維新軍に参加して、
更にその後のジャパンプロレスにて、
全日参戦2代目タイガーとの抗争から新日Uターン後、
誠心会館との抗争を経て、反選手会同盟(平成維震軍)に参加しました。

 

 

その後は新日正規軍やWARとの抗争などを繰り広げ、
2000年にライガー戦にて引退しています。

 

 

几帳面で真面目な人格は後輩、先輩関わらず人気を博しました。

 

 

後輩の為に飲み代のみならず送迎をこなすなど、見習うべき点は多いです。

そして、礼儀にも厳しくその事が誠心会館との抗争のスタートとなりました。

 

 

赤いマーシャルアーツのパンタロンを上手く着こなしたのは
小林邦昭だけではないでしょうか。

 

 

初代タイガーとの抗争では悪役としてブレイクしましたが、
あの赤いパンタロンを見ると、ベニー・ユキーデを思い出します。
(マーシャルアーツ=ベニー・ユキーデでしたから)

 

 

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小林邦昭と云えば・・・「虎ハンター」!

 

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虎ハンターって言葉を知っていますか??

“虎ハンター”っていう言葉を知っているのは、昭和世代でしょう。

佐山タイガーのマスクを剥がしにくる様子は、当時はドキドキしたものでした。

 

 

ヒーローの正体がばれるというドキドキと
小林の憎らしい程のファイトスタイルは新鮮であり、
ちょっと格好いいとも思っておりました。

 

 

その後、全日に移り三沢タイガーとの抗争も始まり相変わらず虎ハンターでした。

王座決定戦だったと思いますが、
フィッシャーマンズスープレックスの改良版で勝利した時は、感動でしたね。

 

(その後三沢のエグイスープレックスで負けましたが、

あの技は封印される程の危険度でした)

 

 

小林と言えば新日ジュニア戦線において大変貴重な存在でした。

 

 

佐山タイガー、ダイナマイトキッド、コブラ、ライガー(デビュー戦の相手)と
時代を代表するレスラーと対戦しています。

 

 

ヘビー戦線でも野上(AKIRA)と組んでUインターと戦ったりしています。

 

とにかくいろんなスタイルの選手と戦っているのですが、
小林スタイルは変わらず(コスチュームは変わった事もあります)
相手に合わせつつ、自分の懐の中で試合を組み立てるといった感じでしょうか。

 

 

良く、ダークヒーローという言葉がありますが、そんな感じでした。

 

 

トラースキックからのフィッシャーマンは定番コースでした。

 

 

今でこそいろんな人が進化型を使っていますが、
いやいや、小林邦昭のフィッシャーマンが一番クールである!!

と言わせて頂きたい。

 

 

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名付け親は古舘伊知郎さんらしいです。

 

 

因みに、フィッシャーマンの容量で抱え上げて垂直落下させる

ライガーの技がありましたね。

 

 

最初は技名は確か公表されてなく・・・

後に「フィッシャーマンバスター」と命名されましたが、

過激化の一途を辿る中で発案された

ワビサビの無い技という認識でいます(笑)

 

 

なんにせよ、フィッシャーマンと言えば小林邦昭。

これは間違いの無い所であります!

 

 

陰に徹した小林そして現在はSNSで表へ

 

 

マーシャルアーツという言葉を一般的にしたのは小林の功績でしょう。

 

 

情報だけのベニー・ユキーデより分かりやすかったと思います。
また、佐山タイガーの成功は小林のヒールラフファイトがあったからでしょう。

 

 

また、小林は後日長州のサポートに徹したいとも語っており、
浜口のような参謀的な役割を目指しているとも言っていましたが、

 

 

それが後の維震軍での立場で実現しています。

 

 

現在ではグルメSNSでの小林の方が有名ですが、
プロレスラー小林ももっと魅力的です。

 

 

ぜひ、YouTubeなどでチェックしてみて下さい。

 

 

 

 

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“稲妻戦士”木村健悟について語ってみたい!その②

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“稲妻戦士”木村健悟について語ってみたい!その②

木村健悟についてぬぉぉ~と語っていたら、一回で終わらなかったので、後編です!!

 

 

本題に入るまえに健悟の副業について触れておきますか・・・。

 

 

健悟は実はレコードデビューしていたんですね~。

 

これはプロレスファンの間では有名ですよね!!

 

しかし、売れなかったです・・・

 

甘いルックスと美声だったのですが、いまいちでしたね。

 

 

更に、引退後はあの円天興行の社長になったというニュースは
久しぶりに健悟の名前を聞いたのに残念でしたが。

 

 

その後、聞いたのは品川区議員当選だったので、良かったです。

 

 

他にもリサイクル会社を経営したりしていました。

割と経営的な才覚に目覚めたといった所だったのでしょうか。

 

 

プロレスラーとしての木村は不器用な男という

イメージもありますが、実は多才だったという所ですね!

 

 

それでは、後半です。

 

 

 

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木村健悟には不遇だった?ヘビー級戦線!!

 

 

木村健悟には不遇の時代が幾度もありました。

 

 

藤波のヘビー転向に伴い、ある程度Jrで成功を収め
ヘビーへ転向するもあまりぱっとしない時代が続きます。

 

 

特に第一次UWFでの抗争では、評価がガタ落ちでした。

当時のファンからは蹴りに対して逃げ腰だったという評判でした。

 

 

これがスタイルだったのかもしれませんが、弱さが出ていましたね。

 

 

UWF抗争後TPG(たけしプロレス軍)では
明らかに格下扱いに「たけし、俺が相手じゃ不満か」と吼えるも不完全燃焼。

 

 

その後、ブロディーとのタッグ対決では不本意な反則勝ち・・・と続き、

なかなかいい所が見せられませんでした。

 

しかし、そんな事だけではありません!

 

 

木村健悟の名勝負戦再度!!

 

 

さて、健悟の名勝負戦です。

 

 

不遇なヘビー時代でしたが、感動させられる試合もありました。

 

 

それがタッグリーグ戦での猪木・坂口組との対戦でした。

 

 

藤波と組んだこの試合は当初同点で並んだ
2チームの勝った方がブロディー・スヌーカと対戦する予定でしたが、
二人の全日移籍で決勝戦となりました。

 

 

二人の師匠に対して血気盛んに攻めていきます。

 

 

更に坂口はこの時足を負傷していましたが、
徹底的に狙い戦意消失まで追い込み、
最後は藤波のドラゴンスープレックスで
猪木からピン勝ちという感動の結末が待っていました。

 

感動しましたね!!

 

 

しかし、その後木村はまたもや低迷期を迎えたかに見えました・・・が!!

 

 

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反選手会同盟の結成は木村に訪れた転機だった!?

 

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しかしここで不遇だった木村に転機が訪れます。

 

 

それは越中と小林が勝手な行動により新日よりペナルティーを受けた事による、
反選手会同盟の結成でした。(後の平成維震軍)

 

 

ここでの健悟の役割は副将であり、参謀でした。

 

 

水を得た魚のように試合をする健悟の様子は良かったと思えるものでした。

 

 

ここ時もハイライトはいくつかありますが、対天龍戦を挙げたいと思います!

 

 

MR.プロレス天龍に積極的に向かっていく姿勢は本当に気持ちが良く、
稲妻も積極的に仕掛け、解説のマサ斉藤が「一皮むけた」と絶賛していました。

 

 

そして天龍へのパワーボムはハイライトでした。

 

 

しかし、最後は力尽き天龍のパワーボムに屈しましたが、
名勝負と呼べるものでしたね!

(青柳と斉藤の関与がなければもっと良かった!)

 

 

 

 

そして、更にもう少し時が流れてから実現した

もうひとつの名勝負、名場面は藤波との再タッグ結成でした!

 

お互い立場が敵対していた中で、藤波の呼びかけに応える形でタッグを結成しました。

 

これは勝負というより入場シーンにドラマが待っていました。

 

いつもの維震軍の赤い服に身を包んでいたのでしたが、
入場して赤のパンタロンを脱ぐと、そこには
なんと黒いショートパンツと黒の足のサポーターの木村健悟がいたんですね。

 

 

これだけで感涙物でした!

 

やはり健悟はこの格好だよ!! と思いましたね~。

 

 

結果は勝ち、ベルトを巻きましたが、
内容よりも個人的にはこの入場シーンが印象的でした。

 

 

健悟にとって平成維震軍は救いの神でした。

 

 

その後は体力の訪れとともに引退、解説を務め、

新日本プロレススカウト部長(?)の様な肩書で

スカウティングもやっていましたね。

 

 

“稲妻戦士”木村健悟ヒストリー、最後に。

 

 

木村健悟を評して付き人であった武藤は凄く楽だったと言うほど、
穏やかな人物というのはイメージ通りですが、
実はキレると誰も手が付けられなかったようです。

 

 

先日藤波と健悟で“ワンデイマッチ30周年トークショー”が行われ、
藤波と和やかに話していたというニュースを聞くと、
盟友という言葉を思い出しました。

 

 

健悟は目立たなかったとしても藤波には欠かせないタッグパートナーだったのです。

 

 

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藤波の歴史の中でタッグパートナーと言えば健悟しかいなかったと思います。

 

 

木村健悟のプロレス人生は人を立てるレスラー人生だったと思えます。

 

 

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“稲妻戦士”木村健悟について語ってみたい!

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“稲妻戦士”木村健悟について語ってみたい!

さて、プロレスを見ていると、
その人のスタイルがあるという事に気付く事は多いはず!!

 

 

受け身型(藤波や蝶野)、攻撃型(長州、橋本)
という風に大きく分ける事が出来ますよね!!

 

 

そこで損をするのは、受け身型です。

 

何か相手の攻撃を受けっぱなしで、

弱い印象を与える事があります・・・。

 

(受け身型でも上手く試合を進めていると強さは見えるのですが・・・)

 

 

そこで!!

 

 

ここで取り上げたいのが“稲妻戦士”木村健悟(健吾)です。

 

 

木村の印象ってどうだったかなと思うと、
強いというよりは、いつの間にか勝ってるという印象(?)でしたね。

 

 

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木村健悟のプロフィールは波乱万丈

 

 

実は木村健悟は相撲出身なんですね~。かなり意外ですよね。

 

 

スマートな印象であまり四股を踏んでいる姿は想像できません。

 

 

その後日プロ入団、新日移籍(坂口と一緒に)という手順を踏み、海外修行に出ます。

 

 

日プロからというとかなり経歴も古いですね。

 

 

そして、海外ではプエルトリコで悪名高いカルロス・コロンから
ベルトを獲っているという事は特筆すべきことです。

絶対的なプロモーターですから。

 

 

その後、“パク・チュー”というリングネーム(そういえば韓流っぽい顔)で
北米を転戦後、メキシコにも進出、

メジャータイトルも奪取するなどして凱旋帰国します。

 

 

帰国後は藤波とJrヘビー戦線を盛り上げるなどして、
自身もNWAインターJrのベルトを巻くなど順調にキャリアを発展させました。

 

 

しかし、ヘビー級に転向後はなかなかパッとした活躍も出来なかったのですが
藤波とのタッグでベルトを獲るなどしても大きなインパクトを残す事も出来ず、

言い方は悪いですが“引き立て役”の状態でした。

 

 

しかし・・・大きな転機が訪れます!!

 

 

越中や小林邦昭らが立ち上げた“反選手会同盟”に加入すると

今までの遠慮がちなファイトから、

わがままな強気なファイトを披露しました( ゚Д゚)

 

 

その後は体力の衰えから2003年に引退、色々な職を経て
現在は品川区の区議会議員に当選順調に第二の人生を歩んでいたのですが、
大病を患い手術を受けたりもしたそうです。

 

 

現在は品川区議員として活躍中です。

 

 

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木村健悟の全盛期っていつ?

 

 

木村健悟の一番輝いていた時期っていつだっただろうか!?

 

 

と考えると、うーん、はっきり分からないですね。

 

 

・・・やはりJr戦士の頃でしょうか?

 

 

藤波とのライバル物語もあったり、
チャボ・ゲレロとの名勝負もあったのですが、
ちょっと違うような気もします。

 

 

それともヘビー戦線!?

 

 

いや、藤波とのタッグでは成績を残していますが、
戦績はパッとしなかったような。

 

 

で、結論としては・・・

 

 

やはり反選手会同盟時代ではないでしょうか!!

 

 

 

何か吹っ切れたようなファイトは見ていて、
“健悟やるじゃないか”と思えました。

 

 

重荷が外れたようなそんな気がしましたね(^^)

 

 

木村健悟の名勝負戦はやはり藤波との対戦!!

 

 

木村健悟の名勝負と言えば、やはり藤波絡みではないでしょうか。

 

 

伝説のワンマッチ興行。

 

 

執拗な藤波への対戦要求からやっと実現したのが、この対戦でした。
1987年1月14日後楽園ホールでした。

 

 

これには因縁があり、肩透かしを食らい続けた対戦では簡単に負け、
更に気合を入れた対戦ではスパナ入りの稲妻レッグラリアートで勝つも
藤波で「これは何だ」と怒られるも「勝つ為には手段を選ばない」と

語った事から更に遺恨は激化。

 

 

そしてワンマッチ興行という前代未聞の戦いが始まり、
レフェリーは上田馬之助でした。

 

 

リングも特殊なリングで“痛みの伝わる”というよりは
プロレス本来のスタイルに戻ったような試合でした。

 

 

固いマットに叩きつけるボディースラムなど、
総合とは違う緊張感がありました。

 

 

健悟の攻勢は続くのですが、せっかくのボクシング戦法は上田に阻止され
更に勝負をかけた稲妻は藤波にキャッチされ、
そのまま藤波の波状攻撃についに逆エビでギブアップしてしまいます。

 

 

これは木村健悟の大勝負でした。ここで男をあげたような気がしますが、
この敗戦は大きなダメージとなり、武者修行に出ました・・・。

 

 

武者修行に出た後の木村・・・

レコードデビューした健悟の攻勢は続く!!・・・のか? 果たして!!

 

木村健悟ヒストリー、次の記事に続く!!

 

稲妻戦士”木村健悟について語ってみたい!!其の弐

 

 

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君はサムライ越中詩郎を知っているか? 男なら越中に刮目せよ!

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君はサムライ越中詩郎を知っているか? 男なら越中に刮目せよ!

最近お笑い芸人、ケンドー・コバヤシさんの
越中さんのモノマネを見る機会があり、
モノマネのクオリティーに感動を覚えました。

 

 

長州や猪木、馬場(古いですが)のモノマネって多いですが、
越中詩郎というマニアックなチョイスとは恐れ入ります。

 

 

猪木のモノマネ芸人も自身が相当な「猪木信者」な訳で
ただ一般ウケを考えてモノマネ対象を選んでいる訳ではないでしょうが、
それにしても越中では世間のプロレスを知らない人には
殆どなんの事やら分かりません。

 

 

まぁ、この「細かすぎて伝わらない」系が
虐げられているマニアックなプロレスファン魂を刺激して
そのアツさが支持されているんでしょうねぇ(笑)

 

 

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そしてそのアツさはプロレス界に逆流、ケンコバの芸人としてのブレイクと共に
プロレスを知らない一般の人までもが認知するプロレスラーとなりました。

 

 

プロレスファンの間では別として、それ以外の

“世間一般”に対する認知度としては

ケンコバの貢献度は相当なものがあるでしょうね(笑)

 

 

さて、ヒップアタックの越中、また高田との抗争など
越中を語ると長くなりそうですが、
ちょっとお付き合いして頂ければと思います!

越中は結構な苦労人です。

 

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越中詩郎のキャリアは波乱万丈

 

 

越中は新日の選手というイメージが多いのですが、
実はデビューは全日なのです。

 

 

ルー・テーズ杯であの三沢を破り優勝するなど将来有望な若手でした。
その勢いそのままにメキシコへと遠征に行きます。

 

 

そこで“サムライシロー”として活躍します。
この時に今のコスチュームになりました。

 

 

とここまでいいのですが、
その後全日フロントから三沢を2代目タイガーマスクとして
デビューさせる為に空港まで送るという屈辱を味わいます。

 

 

koshinaka_misawa
2003年12月6日 横浜文化体育館 特別試合http://www.noah.co.jp/gv2015hiroshima/topics/detail/14

 

 

 

しかし拾う神は新日の坂口でした。

そこで電撃移籍となる訳ですが、ここからが泣ける話です。

 

 

越中は筋を通す為に馬場に挨拶するも却下。

 

 

そこで間を持ったのが天龍で、
更に餞別を大量に挙げたという事です。どちらも男気です。

 

 

その後、新日に上がると当時隆盛を究めていた
UWF勢との抗争に正面切って飛び出し、
高田との勝負は名勝負ばかりでした。

 

 

“耐える美学”とも言われた越中の戦い方で
全日とは違うキック・関節技を中心とした
UWFのスタイルに真っ向勝負する姿は涙物でした。

 

 

その後ヘビーへと転向、更なる飛躍として
誠心会館との抗争も真っ向勝負でしたが、
誠心会館の自主興行に勝手に参加して新日の怒りを買うと
反選手会同盟結成へと向かいます。

 

 

小林邦昭、木村健吾など有志と活動するも尻切れになり、
その後は天龍と組んだり長州のWJプロレス、
フリーとなりましたが、その心意気は失われる事無く
今でもリアルプロレスなどでその雄姿を見せてくれます。
古き良きプロレスラーです。

 

 

越中と高田の出会いは運命だった

 

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UWFというと当時の新日では敬遠される存在でした。

 

 

蹴り・関節という道場プロレスをそのままリングに持ち込んだものの
一般的なプロレスとは違った為に対戦を敬遠する選手もいました。(Kさんとか)

 

 

ただ、星野勘太郎や上田馬之助などシュート組というか
腕に憶えアリ系は輝いたのも事実です。

 

 

そんな中藤波と越中はUWF勢からも高評価を得ています。
(後に前田は藤波さんが受けてくれて良かったとも語っています。)

そしてもう一人越中です。

 

 

当然アメリカスタイルともメキシコスタイルとも違う
Uスタイルに適応するまで相当な時間を要しましたが、
その後は持ち前の受けの良さで試合を盛り上げて行きます。

 

 

そして、高田との運命の出会いは更に越中の評価を上げました。
自身を削るようなギリギリの戦いは名勝負数え唄Jr版とも言われ
大変熱い物でした。一重に越中の引き出しの多さではないでしょうか。

 

 

ロープに飛ばないUWFにヒップアタックとは
考えられない荒業だったと思います。

 

 

その後、抗争中にも拘わらずタッグも組みました。

 

 

リーグ戦の空チームの枠とは云え
緊張感溢れるタッグは見ていて大変興味深かったです。
(タッチはビンタでしたし)

 

 

これは新日の黄金カードの1つでした。

 

 

平成維震軍で頭となる

 

 

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UWFとの抗争を経て落ち着いたかと思いきや、
今度は誠心会館との抗争がスタートします。

 

 

そのまま、拳で分かり合うという形で
誠心会館の興行に勝手に参加した事でペナルティーを受けるも、
それを逆手にとり反選手会同盟から平成維震軍として活動します。

 

 

その課程には長州維新軍との対決もありました。
初めは調子よく自主興行を行ったりしていたものの、
あまり新日と変わらない興行スタイルに
剛竜馬に“これでいいのか”と言われる始末になり解散します。

 

 

しかし、平成維震軍によって救われた選手もいました。

 

 

藤波の引き立て役となっていた木村健吾や
バックドロップは抜群なのになぜかブレイクできない後藤、
イマイチ一皮剥けない小原にとっては良かったかもしれません。

 

 

越中の人柄だとは思いますが、
人を引き立てる(輝かせる)能力には長けているような気がします。

 

 

不器用だけど熱い、男の生き様を見せつけてくれる越中には

プロレスファンがプロレスを好きになる理由が

そのまま凝縮されている気がしてなりません。

 

 

プロレスファンならド演歌ファイター・越中を

好きにならずにはいられないでしょう!

 

 

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