2017年06月の記事一覧

プロレス名勝負数え唄

月別:2017年06月

プロレス界における軍団抗争の歴史!!

この記事は約 4 分で読めます

プロレス界における軍団抗争の歴史!!

プロレスにおける軍団抗争
(最近ではユニットというみたいですが)は
大変盛り上げるシチュエーションですね!

 

 

本隊がいて、それに絡む軍団というこの構図は
プロレスに黄金期をもたらしたともいえます。

 

 

最近では内藤哲也のロスインゴスというカッコいいユニットもありますが・・・

こちらでは古くからの軍団(こう言った方がしっくりくるので)を
紹介したいと思います。

 

 

ぜひ、プロレスの歴史を楽しむような感じで
読んでみて頂けると良いかと思います!

 

 

では、いってみましょう。

 

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国際軍団

 

kokusaigundan

 

「こんばんは」で始まる伝説のマイクアピールでお馴染みの国際軍団!

概要としては、1981年に倒産した国際プロレスが
新日との対抗戦を画策した事が原因となり
分裂した国際プロレスの元メンバーが作った軍団です。

 

 

大将はデスマッチの鬼として知られるラッシャー木村、
そして今はバラエティで見かける闘将アニマル浜口、
華麗なるテクニックで和製カーペンターと呼ばれた寺西勇でした。

 

 

失笑されたマイクアピールの後に
浜口の煽るようなマイクアピールで見事ヒールとなりました。

 

 

立場は弱く、ほぼゲリラ戦で猪木との対戦を迫り、二度の対戦にこぎつけます。

更に屈辱的な3対1を組まされるなど

今となってはかなりかわいそうな面もありますが、
当時は憎悪の対称でした。

 

 

この軍団は結局解散して、木村は全日で国際血盟軍を結成、
その後馬場との名物タッグへといきます。

 

 

更に浜口は長州と有名な維新軍(昭和)を結成、寺西もそこに参加します。

 

 

昭和維新軍

 

 

ishingun
https://ameblo.jp/19563111/entry-11828472420.html

 

 

ご存知長州率いる維新軍です。

 

 

これはプロレスを知らない層にもその存在を見せつけたのは
功績と言えるでしょう。

 

 

発端は長州の凱旋試合での藤波との抗争です。
「噛ませ犬じゃない」この発言でプロレスの歴史は動きます。

その長州にマサ斉藤、キラー・カーン、浜口、寺西、谷津など
強力な面々が集まり新日本体との抗争は熱い戦いが繰り広げられました。

 

 

特に名勝負数え唄とまで言われた長州と藤波の対戦は、
常に新鮮な戦いが繰り広げられました。

 

 

また、タイガーマスクと小林邦昭というJrの戦いにも
目を向けさせた事は功績でしょう。

 

 

それとたくさんの試合形式が披露され、
この時イルミネーションマッチやランバージャクや
勝ち抜き戦などもあり、演出も凝っていました。

 

 

その後、全日移籍、ジャパンプロレスなど派生していきます。

 

 

平成維震軍

 

 

heiseiishingun
http://blog.livedoor.jp/syouhukuji-puroresu/archives/50350668.html

 

 

越中率いる平成維震軍!!

 

 

昭和にあった維新軍との区別の為?
にそう命名されたのかも知れません。。

 

 

昭和の「維新軍」との違いは「維震軍」と
震動の「震」の字が当たられている事ですね。

 

 

反選手会同盟改め平成維震軍となった直後の
ワールドプロレスリングの実況で
「日本マット界を震撼させてやる為だ」と
辻アナが言ってたよーな、そうでないよーな?

 

 

ま、いずれにしてもこの名称は度々長州から
「昭和維新軍の二番煎じじゃねーか!」
と言われるツッコミ要因となっていました。

 

 

この様な流れで結成された平成維震軍、
元は青柳率いる誠心会館との抗争の最中、

勝手に誠心会館主催の興行に参加したとして

処分を受けた越中が怒りに任せて作った反選手会同盟が発端です。

 

 

その趣旨に賛同した木村健吾、小林邦昭、誠心会館の青柳、斉藤が参加して
反選手会同盟からグレートカブキ、後藤達俊、小原、野上彰などが加わり
平成維震軍となったんですね。

 

 

発足当初はその趣旨で進んで盛り上がったのですが、
新日の抗争の流れに流されてUWFインター、nWoジャパンなどが出てきて、
その存在価値は薄れ、それぞれのポジションへと戻っていきました。

 

nWoジャパン

 

nWoJAPAN

 

 

このユニットは、現在の新日のユニットの流れに
大きな影響を与えたユニットです。

 

 

元々はWCW遠征中に蝶野が加盟した事から日本版nWoが作られました。

因みにアメリカ版ではホーガン、スコット・ホール、

ケビン・ナッシュなど素晴らしいメンバーーがいました。

 

nWo

 

nWo2

 

 

このnWoはとにかくクールで格好いい!

 

 

その後、ヒロ斉藤、天山広吉、スコット・ノートン、
更にグレート・ムタ、ドン・フライも参加という超豪華メンバーによる
とにかくカッコいいユニットでした。

 

 

本国のnWoはデニス・ロッドマンの参加などの
話題もあったのでしたが、不祥事もあり尻すぼみとなりました。

日本のnWoジャパンはというと
新日本体との抗争では最終的にはベルト総取りまでいき、
一大ムーブメントを繰り広げましたが、仲間割れにて解散!

 

 

しかしその後、nWoジャパンはその後形を変えて
蝶野率いる「黒の軍団」TEAM2000へと続く流れとなりました。

 

TEAM2000

 

 

TEAM2000はおしゃれ過ぎて
ヒールだかなんだか分かりませんでしたが・・・

 

 

続く。

 

 

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君はサムライ越中詩郎を知っているか? 男なら越中に刮目せよ!

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君はサムライ越中詩郎を知っているか? 男なら越中に刮目せよ!

最近お笑い芸人、ケンドー・コバヤシさんの
越中さんのモノマネを見る機会があり、
モノマネのクオリティーに感動を覚えました。

 

 

長州や猪木、馬場(古いですが)のモノマネって多いですが、
越中詩郎というマニアックなチョイスとは恐れ入ります。

 

 

猪木のモノマネ芸人も自身が相当な「猪木信者」な訳で
ただ一般ウケを考えてモノマネ対象を選んでいる訳ではないでしょうが、
それにしても越中では世間のプロレスを知らない人には
殆どなんの事やら分かりません。

 

 

まぁ、この「細かすぎて伝わらない」系が
虐げられているマニアックなプロレスファン魂を刺激して
そのアツさが支持されているんでしょうねぇ(笑)

 

 

koshinakashirou_kendo-kobayashi

 

 

そしてそのアツさはプロレス界に逆流、ケンコバの芸人としてのブレイクと共に
プロレスを知らない一般の人までもが認知するプロレスラーとなりました。

 

 

プロレスファンの間では別として、それ以外の

“世間一般”に対する認知度としては

ケンコバの貢献度は相当なものがあるでしょうね(笑)

 

 

さて、ヒップアタックの越中、また高田との抗争など
越中を語ると長くなりそうですが、
ちょっとお付き合いして頂ければと思います!

越中は結構な苦労人です。

 

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越中詩郎のキャリアは波乱万丈

 

 

越中は新日の選手というイメージが多いのですが、
実はデビューは全日なのです。

 

 

ルー・テーズ杯であの三沢を破り優勝するなど将来有望な若手でした。
その勢いそのままにメキシコへと遠征に行きます。

 

 

そこで“サムライシロー”として活躍します。
この時に今のコスチュームになりました。

 

 

とここまでいいのですが、
その後全日フロントから三沢を2代目タイガーマスクとして
デビューさせる為に空港まで送るという屈辱を味わいます。

 

 

koshinaka_misawa
2003年12月6日 横浜文化体育館 特別試合http://www.noah.co.jp/gv2015hiroshima/topics/detail/14

 

 

 

しかし拾う神は新日の坂口でした。

そこで電撃移籍となる訳ですが、ここからが泣ける話です。

 

 

越中は筋を通す為に馬場に挨拶するも却下。

 

 

そこで間を持ったのが天龍で、
更に餞別を大量に挙げたという事です。どちらも男気です。

 

 

その後、新日に上がると当時隆盛を究めていた
UWF勢との抗争に正面切って飛び出し、
高田との勝負は名勝負ばかりでした。

 

 

“耐える美学”とも言われた越中の戦い方で
全日とは違うキック・関節技を中心とした
UWFのスタイルに真っ向勝負する姿は涙物でした。

 

 

その後ヘビーへと転向、更なる飛躍として
誠心会館との抗争も真っ向勝負でしたが、
誠心会館の自主興行に勝手に参加して新日の怒りを買うと
反選手会同盟結成へと向かいます。

 

 

小林邦昭、木村健吾など有志と活動するも尻切れになり、
その後は天龍と組んだり長州のWJプロレス、
フリーとなりましたが、その心意気は失われる事無く
今でもリアルプロレスなどでその雄姿を見せてくれます。
古き良きプロレスラーです。

 

 

越中と高田の出会いは運命だった

 

koshinaka_takada

 

 

UWFというと当時の新日では敬遠される存在でした。

 

 

蹴り・関節という道場プロレスをそのままリングに持ち込んだものの
一般的なプロレスとは違った為に対戦を敬遠する選手もいました。(Kさんとか)

 

 

ただ、星野勘太郎や上田馬之助などシュート組というか
腕に憶えアリ系は輝いたのも事実です。

 

 

そんな中藤波と越中はUWF勢からも高評価を得ています。
(後に前田は藤波さんが受けてくれて良かったとも語っています。)

そしてもう一人越中です。

 

 

当然アメリカスタイルともメキシコスタイルとも違う
Uスタイルに適応するまで相当な時間を要しましたが、
その後は持ち前の受けの良さで試合を盛り上げて行きます。

 

 

そして、高田との運命の出会いは更に越中の評価を上げました。
自身を削るようなギリギリの戦いは名勝負数え唄Jr版とも言われ
大変熱い物でした。一重に越中の引き出しの多さではないでしょうか。

 

 

ロープに飛ばないUWFにヒップアタックとは
考えられない荒業だったと思います。

 

 

その後、抗争中にも拘わらずタッグも組みました。

 

 

リーグ戦の空チームの枠とは云え
緊張感溢れるタッグは見ていて大変興味深かったです。
(タッチはビンタでしたし)

 

 

これは新日の黄金カードの1つでした。

 

 

平成維震軍で頭となる

 

 

hannsensyukaidoumei

 

UWFとの抗争を経て落ち着いたかと思いきや、
今度は誠心会館との抗争がスタートします。

 

 

そのまま、拳で分かり合うという形で
誠心会館の興行に勝手に参加した事でペナルティーを受けるも、
それを逆手にとり反選手会同盟から平成維震軍として活動します。

 

 

その課程には長州維新軍との対決もありました。
初めは調子よく自主興行を行ったりしていたものの、
あまり新日と変わらない興行スタイルに
剛竜馬に“これでいいのか”と言われる始末になり解散します。

 

 

しかし、平成維震軍によって救われた選手もいました。

 

 

藤波の引き立て役となっていた木村健吾や
バックドロップは抜群なのになぜかブレイクできない後藤、
イマイチ一皮剥けない小原にとっては良かったかもしれません。

 

 

越中の人柄だとは思いますが、
人を引き立てる(輝かせる)能力には長けているような気がします。

 

 

不器用だけど熱い、男の生き様を見せつけてくれる越中には

プロレスファンがプロレスを好きになる理由が

そのまま凝縮されている気がしてなりません。

 

 

プロレスファンならド演歌ファイター・越中を

好きにならずにはいられないでしょう!

 

 

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【訃報】ミスター・ポーゴさん安らかに

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【訃報】ミスター・ポーゴさん安らかに

先日、あるサイトのスポーツニュースを見ていると、
ミスター・ポーゴこと関口哲夫さんが
死去したというニュースを目にしました。

 

一時代を築いたレスラーの死去は大変寂しいです。

 

 

デスマッチの帝王とも言われ、
あの大仁田との抗争は熱い物がありました。

今回は偲んでという訳ではないですが、
ミスター・ポーゴの軌跡を振り返ってみたいと思います。

 
 

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ミスター・ポーゴとは

 

 

ミスター・ポーゴは1951年2月5日に
群馬県で県議員の息子として生まれました。

 

 

良くポーゴ評としてリングの上での絶対的なヒールとして君臨する、
デスマッチの帝王の顔とは別に、プライベートでは

律義で温和な性格であったと言う事は出所も関係あるでしょう。

 

 

さて、大きく時を動かして恵まれた体格を活かして相撲を始めるも
プロレスに目覚めて新日本プロレスに入団します。

 

 

ちょうど旗揚げ時の新日という事もあり藤波とのデビュー戦を迎えるも
一年ちょっとで山本小鉄との確執があったようで
退団し、その後、単身渡米します。

 

 

ここから凄いのですが“ミスター・セキ”として活動するのですが、
その時のメンツがフレアーやファンクス更に
ミスター・プロレスハーリー・レイスとも対戦し、
金網デスマッチで戦っているのは一重に努力の賜物です。

 

 

その後ミスター・ポーゴと改名
(プロモーターの間違いだったそうですが)し、
海外を主戦場に戦い、国際プロレスに凱旋帰国し、
更に新日本にも参戦します。
(ケンドー・ナガサキとのコンビは有名)

 

 

その後、FMWに参戦大仁田・ターザン後藤との抗争を経て
松永と共にW★NGに参戦後はFMWに戻ったり、
IWAジャパン、大日本プロレスとフリーとして転戦していました。

 

 

その後は地元密着型プロレスWWSプロレスを立ち上げたりもしていましたが、
焼き鳥屋などのフードビジネスに熱心に取り組んでいる一方、
プロレスにはスポット参戦という形で出ていました。

 

そして、2017年6月23日に66歳で群馬県の病院で亡くなりました。

 

 

ミスター・ポーゴとデスマッチ

 

 

さて、ポーゴはヒールらしいヒールとも言える選手でした。

 

 

しかし、新日凱旋の時のポーゴは持ち味を発揮できないでいました。
まあちょうど一緒にいたナガサキのインパクトが強すぎたのもありますが。

 

 

ですので、不完全燃焼のまま新日参戦が終わった後の
FMWでのターンは正直期待していなかったのですが、
大仁田の引き出しというか、ポーゴとの抗争は
見事ツボに入った感じで水を得た魚でしたね。

 

 

ただ今回調べていて分かったのですが、
ハーリー・レイスにピン勝ちして更に
金網デスマッチをしているとは凄すぎます。

 

 

これってもっと評価されていい事ではと思います。

 

 

さて、FMWでは新日でのうっぷんを晴らすような活躍で暴れまわりました。

 

 

大仁田との幾度なく行われたデスマッチの数々は
やはりポーゴだったから出来たのではと思います。

 

 

また、鎌を持ち込み火炎噴射など思い切った攻撃は
まさしくヒールそのものです。

 

 

試合の様子を見ても“いい味出しています”
鎌や有刺鉄線バット・ノコギリなど何でもアリです。

 

 

これは新日では無理でしょう。FMWに行って正解です。

 

 

一度ベビーターンもありましたが、イマイチでしたね。

 

 

やはり会場全体を敵に回す形が彼には合ってますね。
(タイガー・ジェットシンもそうでしたが)

 

 

FMWでは大仁田・ターザン後藤という好敵手に恵まれ力を発揮して、
W★NG・大日本プロレスでは若手の成長を見守るという形で
トップを張るという彼の懐の深さは素晴らしい。

 

 

日本ではこんな“極悪大王”とまで呼ばれるヒールって
出てこないのではと思うほどのヒールっぷりってプロだなと思います。

 

 

FMWを最高潮に盛り上げたヒール、ミスター・ポーゴ

 

 

突然の訃報に驚き書いてみましたが、ポーゴがいた頃のFMWが
一番盛り上がっての出はと思っています。
その後は結構大仁田共々迷走中ですよね。

 

 

それだけポーゴの存在って凄いし、プロレスに徹していましたよね。

 

 

その後のいい人伝説も何となく納得ですが。

あのジプシー・ジョーとも金網デスマッチもやってますし、
FMWの里に有刺鉄線バットで殴っていますが、
ボーゴだったらありでしょう。

 

 

もうこんなヒールレスラー出てこないのでしょうね。寂しいです。

 

 

楽しませて頂き有難うございます。

 

 

ミスターポーゴ、安らかに。。。

 

 
 

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天才武藤敬司の名勝負「ムタ対ニタ」

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天才武藤敬司の名勝負「ムタ対ニタ」

武藤のもう一つの顔ムタ!

 

 

独特の間合いとムタワールドに多くのレスラーが惑わされ、
更にその毒に飲み込まれていった名レスラーも多いです。

 

 

しかし、そのムタに噛みついた男がいました。

 

 

“邪道”大仁田厚!

 

 

大仁田は執拗にムタに迫りとうとう自身の世界
“デスマッチ”に引きずり込みましたね~。

 

 

ムタとニタ悪の化身の戦いの決着はどうなったのか!!

 

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ムタの本領発揮 ムタ対ニタ

 

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結論から言うとこれはかなり力の差があったと言えます。
体格的にもレスラーの格的にも・・・。

 

 

長州戦ほどではないですが、かなり一方的で
ニタからすればFMWのリングを体現しようと爆破マッチを仕掛けるも
全てムタに持っていかれたというのが正直な感想です。

 

 

電流爆破も全て自分で食らうニタ。

 

 

見せ場は片足跳びの鎌攻撃、そして初めのムタを
爆破へと追い込んだ所でしょうか。

 

 

途中、DDTやパワーボムなどを出すも
単発で中々ニタのペースには持ち込めません。

 

ポーゴなどとの試合とは明らかに違います。

 

 

最後も呆気なく自爆、フォール負けという消化不良の試合かもしれません。

 

 

とにかくムタの凄み・巧さだけが光ったと言えるでしょう。

 

 

当時の試合を報じた週刊プロレスの増刊号の表紙には

 

ムタ、偽物ニタ殺しに成功!!

唯一武多

 

との文字が躍っています。

 

 

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悪の化身ムタと邪道の化身ニタ

 

 

元々ムタと言えば武藤のアメリカでのキャラであり、
武藤の悪の化身という形ではないんですね~。

 

 

アメリカで人気を博したカブキの息子として誕生して
敏腕マネージャーゲーリー・ハートの手により
キャラが確立された経緯があります。

 

 

しかし、初期のムタはトラースキックで試合の流れを変えたりして、
武藤との戦いとは一線を博し、ヒールになりきる事で人気を得て
アンチヒーロー的な流れになりました。

 

 

特にアメリカンヒーロースティングとの
悪と正義的な流れの抗争は大変受けました。

 

 

そして、満を持して日本に上陸すると
“ダークヒーロー”として武藤とは違う人気が出てきたという経緯なんです。

 

 

ムタは新しいキャラを確立しました。

 

 

一方、ニタは大仁田の悪の化身という事でキャラを作りました。

 

 

初めから言われていましたが、

ムタの真似(バッタ者)と言われていました。

 

 

ニタの登場は元々がポーゴとの抗争から生まれたもので
ポーゴ大魔王(ポーゴの化身)という形で
ムタ同様ラフスタイルの極限を見せつけました。

 

 

そもそもがムタのパロディーという事に端を発しているので、
ある意味コントのような動きをします。
必殺武器が鎌攻撃という訳の分からなさが持ち味です。

 

 

ムタとニタ化身同士の戦い この戦いの意味とは

 

nita_muta

 

 

ムタとニタの決戦は武藤がニタの存在に対して
当たり前のように嫌悪感を示した事から始まっているというのが定説ですが、
ここに至る大仁田の挑発もかなり効果的でしたね。

 

 

ここで思うのは、大仁田の対戦相手の豪華さです!

 

 

タイガー・ジェットシンやザ・シーク、テリー・ファンクの
レジェンド系のレスラーから天龍・長州まで引っ張り出す
その興行プロモーターとしての実力
レスラー以上の評価を与えていいのではと思います。

 

 

継ぎ足して言えば、長州の引っ張り出しは凄い物がありました。

 

 

キラーカーンは絶対長州は出て行かないと断言していましたし、
新日に有刺鉄線を持ち込んだ大仁田の政治力には脱帽します。

 

 

で、本題に戻りムタとニタの対決も
イントロから真鍋アナウンサーを巻き込んだコントのような作りから、
試合へと流れムタに敗れた後も大仁田劇場は終わりを告げず、
まだストーリーは残っていました。

 

 

そして、ニタは死んだという事になりましたが、
数年後には大仁田同様復活しました。

 

 

勝負には負けましたが、ムタとの爆破マッチを繰り広げた事で
ある意味大仁田の勝ちかもしれません。

 

 

試合はムタワールドかもしれませんが、
マッチメークまでは大仁田ワールドでした。

 

 

ムタ対ニタ・・・

 

 

大仁田もある意味天才的だったと言えます!!

 

 

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天才武藤敬司の名勝負「武藤対天龍」

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天才武藤敬司の名勝負「武藤対天龍」

ミスタープロレスと言えばあなたは誰を思い浮かべるでしょうか?

 

 

猪木、馬場と名前が上がりそうですが、
ここでは天龍と武藤を挙げたいと思います。

 

 

プロレスLOVEを貫き、プロレスのたくさんの
名勝負を生み出し続けた天龍と武藤。

 

 

この二人が対峙した事が事件であり、
勝敗度外視で楽しめる二人の勝負は多くの人を魅了し続けるでしょう。

 

 

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武藤と天龍のミスタープロレス対決

 

 

「ミスタープロレス」という名称を誰が考えたのでしょうか?

その言葉が出た時には必然的に「天龍こそがミスタープロレス」
という声が多かったようです。

 

 

それからミスタープロレス=天龍となりました。

 

 

それに“待った”をかけたのが武藤です。

 

 

互いにプロレスを代表する二人の対決は名勝負にならないはずがありません。

後日談ですがこの対決の後に武藤は天龍に敬意を評して

“ミスタープロレス”の称号を天龍に渡して、
自身は“プロレスマスター”という新たな称号を手にして言います。

 

 

天才武藤と痛みを教える天龍 お互い譲らない裏のかきあい

 

 

武藤と天龍は場所を変え、シングルで数回対戦しています。

 

もちろんムタ対天龍もあります。

 

 

その中でも1999年5月3日の福岡でのIWGP戦は
年間最高試合の栄誉も勝ち取っています。

 

 

mutou_tenryuu3

 

 

天龍が新日に乗り込み辿り着いたトップとの対戦、
更に新日の象徴IWGPタイトルマッチは盛り上がりました。

 

 

天龍と言えば大一番になると意外な大技を見せる事で有名ですが、
この日は雪崩式のフランケンシュタイナーでした。

 

 

天龍と言えば、あまりアクロバッティックな技は見せないのですが
(ドロップキックもあまり見た事はないです)
まさかのフランケンシュタイナーです。

 

 

どちらかというと古典的なプロレス技で

納得させるようなイメージがありますが、
晩年の方になる天龍の意外な攻撃です。

 

しかし、最後はホームリングの意地を見せた武藤が勝ちます。

 

 

そして、次の舞台は全日の宝三冠戦です。

 

 

当然、この試合も熱戦となります。

 

 

二人の戦いは予想以上の噛み合いと相性の良さを見せて、
互いの持ち技を駆使して観客を熱くします。

 

 

天龍のノーザンライトボムや掟破りのシャイニングウィザード、
武藤も負けじと本家シャイニングウィザードなどで反撃します。
この時は天龍に軍配が上がります。

 

 

そして、ムタ対天龍戦もこれまた見応えのある試合となりました。

 

 

天龍源一郎VSグレート・ムタ

 

 

ムタ対天龍の初対決を収めた当時のVHSには
こんな解説文が載っています

 

 

muta_tenryuu_19961011oosaka

 

 

天龍の鉄拳か、ムタの毒か!?
大阪の夜が魔界に飲み込まれた

 

 

遂に実現した天龍vsムタ、初の一騎打ち!

 

悪の化身グレート・ムタが変幻自在の残虐ファイトを繰り出せば、
その猛攻に耐えた天龍が怒りのグーパンチで反撃。
想像を遥かに超えた激闘に、W.A.Rマットは文字どおりの修羅場と化した。

 

 

こちらは天龍の試合には珍しい流血戦となりました。

 

 

スーパーヒールとしてムタの存在感が際立った試合でした。

 

 

後日談としてこの試合を武藤の義父が見ていて、えらく不評だったそうです。

 

 

この試合はムタの間のとり方がとても巧く、
この独特のリズムに天龍が乗り切れていない様子が前半戦は見られ
その事で苦戦を強いられています。

 

 

場外での机パイルドライバーはホントにエグイ!
圧倒的なムタワールドが展開されていきます。

 

 

WARマットだったのですが、机に置いてのムーンサルト、
側転エルボーなど中々見せ場が多い・・・

 

 

そして、決着もパワーボムに毒霧発射にめげず、
もう一回パワーボムでピン勝ちです。

 

 

ムタワールド、天龍ワールド全開でした。
17分位の試合でしたがもう満足です。

 

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二人のプロレスの理想はここにある

 

 

二人の戦いはプロレスの極限を見極めるような凄い戦いでした。

 

 

古典プロレスを継承する天龍と新しいプロレスを創造する武藤。

 

 

二人の科学融合は更に進化したプロレスを作りだしました。

 

 

また、二人の共通項として他人の技をパクリでなく
自分のオリジナルにしている点でしょう。

 

 

武藤のスタイルがフレアーや藤波に似ているという指摘も
四の字固めもドラゴンスクリューも結局は自分の技にしています。

 

 

天龍に至ってもパワーボムや大一番で見せる
対戦選手の得意技も天龍の技でしょう。

 

 

muta_tenryuu2

 

 

天龍が引退した事でもう対戦はないでしょうが、もう一度ぐらいみたいですね。
総合にはないプロレスの奥深さを見た思いがします。