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- プロレス時事
嬉しいニュースが先日入ってきました!
あの桜庭選手が総合での功績を称えられて殿堂入りを果たしたんですね~~。
総合でグレイシーハンターの異名を持ち、
かのグレイシー一族をなぎ倒す姿には胸がスカッとする思いがありました。
なぜ、桜庭が殿堂入りした事がこんなに嬉しいかと言うと
それにはプロレスと総合の苦い歴史があるからです。
またそれには、日本の格闘技(柔道など)も救われた部分もあるでしょう。
ということで、今回は桜庭和志選手の功績を称えつつ
プロレスと総合の関わりについて語ってみましょ~~!!
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プロレスにかってない試練
さて、プロレス最強神話って知ってますか!?
これは古くは力道山と木村政彦から始まります。
アメリカのプロレスラーを倒す力道山は本当に強いのかと。
それを証明する戦いが木村戦でした。この試合は後に物議を醸しだすのですが。
(力道山のえぐすぎる戦いの為に)とりあえずはプロレスはここで勝ったのです。
その後のターニングポイントは、猪木の異種格闘技路線です。
そのメインはウィリー・ウィリアムス戦です。
これも勝ったのですが、結構いろいろ
後述談が出てきてすっきりはしなかったです。
ウィリアム・ルスカとの対戦でも結構猪木はえぐいのですが。
そして、その後世紀のボクシングヘビー級チャンピオン、
モハメド・アリとの対戦がありました。
世紀の凡戦とまで言われたこの試合は制限つきの試合でした。
(寝技ルールなど結構猪木不利でした)
しかしプロレス最強神話は何とか体裁を保ちつつ、90年代を迎えます。
そこはプロレスにとって危機でした。
本業のプロレスは闘魂三銃士、全日四天王など隆盛を究める一方で
K-1やPRIDEと言った総合が人気を博してきます。
当然、プロレスラー最強はちょっとぐらつきます。
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総合勢に負けるプロレスラー
現在のMMAは当時バーリトゥードという
急所攻撃以外何でもアリと言う危険な格闘技から生まれました。
そこに居座ったのがグレイシー一族でした。
そのボス、ヒクソンは400戦無敗と言う伝説を持っていました。
「400戦無敗」ってあーた・・・
この極めて少年バトルマンガチックな設定に若干疑問の声があったのも事実ですが・・・
最初の登場時が確か400戦無敗で、高田や船木と戦う頃には
500戦無敗になってましたからね~。いったいいつ100戦やってたんだか・・・
しかし、実際、道場№1と言われた道場破りにきた安生を返り討ちにするなど
ヒクソンは最強の男というカテゴリーにいました。
そして極めつけはUインターの高田を相手にして
高速タップを連発させるなどプロレスラーを手玉に取り、
柔術№1と言わしめます。
喧嘩最強ケンドー・ナガサキは
ゴルドー兄には勝ったのですが、2戦目は瞬殺されました。
更にグレイシーより少し後に脚光を浴び始めたミルコクロコップ。
元々イチK-1ファイターでしたが、総合で成り上がったたミルコは
当時の話題を集めるマッチメイクに乗る様に、プロレスラーとの対戦が実現。
図式的に“プロレスハンター”とも言われる様になりました。
このミルコ・クロコップに永田、藤田と完敗。
更にエミリヤーエンコ・ヒョードルにも勝てませんでした。
あの小川もヒョードルには成すすべなく
腕十字で完敗とプロレスラーは虚構の存在となりました。
またカシンもハイアン・グレイシーに負け(後にリベンジ)、
小原も道場最強を引っ提げるも判定に持っていくのがやっとの状態でした。
余談ですが、中西は無謀にもK-1チャレンジで撃たれまくりでしたが。
「プロレスラーは本当は強いんです。」桜庭の叫び
そんな中出てきた桜庭。
本当はピンチヒッターだったのですが、
相手は因縁のグレイシー一門マーカス・コナン。黒帯です。
結果は見えていたのですが、予想を裏切る勝利を見せます。
それから、ハイアン、ホイラー、ホイスグレイシーを撃破しました。
実際この時は総合選手でもグレイシー一族に苦しめられていましたから、
衝撃は凄かったでしょう。
冒頭の一言は一戦目の後のマイクパフォーマンスですが、
プロレスファンが一番聞きたかった言葉でしょう。本当にそう思います。
あのグレイシー一族を何人も撃破したという事実は誇らしいです。
また、プロレスファンがなんで喜んだかと言うと、そのファイトスタイルです。
ストッピングやモンゴリアンチョップなどプロレス技を織り込んだり、
入場の際にはマスクを着用するなど
ショーマンシップも忘れない所だったでしょう。
桜庭はプロレスの宝です。
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