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投稿者:nakamura

天才武藤敬司の名勝負「武藤対高田」

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天才武藤敬司の名勝負「武藤対高田」

お久ぶりの投稿となります!

 

 

本日は武藤です。ちょっと武藤について続けていきます

 

 

プロレス界ではたくさんの天才と呼ばれるレスラーがいますが、

武藤敬司に勝る選手を探すのは難しいでしょう。

 

 

武藤は沢山のプロレスラーがいる中で「天才」の高評価を受けています。

 

 

それには理由があり、マニアックな話になりますが、

武藤の試合には塩試合という物が少ないのです。

 

 

いい意味での“魅せるプロレス”なんです。

 

 

上手くアメリカナイズされた試合が多く

ストロングスタイルと言われた新日本にあって

どちらかというと往年の全日本プロレスに近かったのです。

 

(なぜ、新日本を選んだのだろうと思いますが)

 

 

そんな武藤選手の試合の中で名勝負を振り返ってみたいです。

 

 

まず一発目は、これはもはや欠かす事が出来ない・・・

ベストバウトの声も高い武藤対高田戦!!

 

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武藤対高田、新日本対Uインター伝説の10.9東京ドーム!

 

高田延彦入場シーン

 

背景はUインターと新日本の究極の対抗戦

 

 

この試合の背景として、まず触れないといけないのが

新日本とUWFインターの関係性ですね!

 

 

まず、新しいプロレスの形を求めて

佐山タイガー、前田、高田と去った後に作ったのが第一次UWFでした。

 

 

この時は、限りなくスポーツに近いプロレスを求めたプロレスで

コアな人気を誇るも破綻し、新日本に出戻ります。

 

 

そして有名な「長州顔面蹴り事件」が起き、新日とUWFの関係は破壊されます。

そして前田はリングス、高田はUWFインターを立ち上げます。

 

 

新格闘王としてマニアックな人気を誇った前田に比べて、

高田は異種格闘技路線を中心にスピンクス、オブライト、ベイダーを撃破しますが、

興行的に行き詰まり新日に戻ってきます。(全日行きも噂されました)

 

 

そんな状況の中、実現した武藤対高田戦は当然盛り上がりました。

 

 

もはや異常とも思える熱気で、そもそも

この対抗戦の10.9東京ドームが決まった時の長州の

「よし、押さえろ!」がそもそも衝撃的でしたね!

 

 

一回目が東京のIWGP戦、二回目が福岡となりました。

どちらも白熱した試合となりました。

 

 

武藤対高田 2戦の見所とポイント!

 

 

武藤と高田は2度戦っています。結果から言うと1勝1敗!

東京と福岡のドームで戦った試合でした。

 

 

どちらの試合が凄かったかというとこれは好みの分かれる所ですが、

個人的には武藤が4の字固めで勝った試合ですが、福岡での試合も興奮しましたね!

 

 

現在夢の対決と言われると答えられませんが、

この当時はまさしく想像出来ない対決で実現不可能とも言われていました。

 

それが実現したから会場全体のボルテージも上がりぱなっしで、

入場シーンから格好いいです。

 

 

プロレス伝説の名場面。高田延彦入場。

 

 

高田と武藤本当に絵になります。武藤のアメリカンスタイルに対して、

高田は今と違い寡黙に花道を歩いてきます。この時点で武者震いが止まりません。

 

 

試合は余計ながら噛みあうのか?と思っていましたね!

 

なぜなら高田は従来のプロレスからより異種格闘に近いスタイルで戦っていて

そこに“純なプロレス”を繰り出す武藤との調和は・・・と思っていましたが、
グランドの攻防も見応えがあり、高田のハイキックに耐える武藤。

 

 

緊張感漂う展開は手に汗握る!!

 

 

結果として試合が上手く噛みあった理由は武藤のバックグランドにあったでしょう。

 

 

派手目な武藤ですが、実際は柔道の強豪選手としての

バックグランドがあるから当然グランドも上手いはずです。

 

 

そして、2試合を通じてのポイントは武藤の“足4の字固め”
高田の“腕しぎ逆十字”です。もう一つ付け加えれば“ドラゴンスクリュー”でしょうか!

 

 

この頃は武藤のスタイルの変革の時を迎えていた頃だったと思います。

 

 

派手目なフィニッシュが特徴の武藤が

 

 

スペースローリングエルボー→フェイスクラッシャー、→ムーンサルト

 

 

の流れから脱却しつつありました。

 

 

裏話というか、プロレスファンなら誰もが知る所ですが、膝の具合が限界になり

毎試合の様にムーンサルトを出せなくなっていたという事情があるでしょう。

 

 

そこにこの大舞台で魅せた「ドラゴンスクリューからの4の字固め」
新たなフィニッシュとしてファンの脳裏に刻み込まれ、

定着していく流れとなったのでした。

 

 

高田の腕ひしぎは当時のUインターのスタイルを考えると妥当ですけどね!

 

 

とにかく武藤を持ち上げる訳ではないですが、

武藤だからこそこの試合は見応えある試合になったのではないかと思います!

 

 

そしてそこが天才の天才たる所以でしょうか。

 

 

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斎藤彰俊、遅咲きの空手家レスラーの生きざま!

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斎藤彰俊、遅咲きの空手家レスラーの生きざま!

遅咲きの格闘拳士、齋藤彰俊!!

 

 

キミは齋藤彰俊を知ってるだろうか?

 

 

ノアを主戦場としている齋藤彰俊、
皮肉な話ではあるが、三沢光晴に最期に技をかけた男として
有名という側面はあるかも知れない。

 

 

しかし、そんな齋藤彰俊も過去には

上下共に道着に身を包んだ空手家として
新日本のリングに上がっていたのだ。

 

 

斎藤彰俊は青柳政司館長と組んで誠心会館として
新日本プロレスに殴り込み。

 

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誠心会館 青柳館長

 

 

プロレス 対 空手

 

という構図の異種格闘技戦で登場した。

 

 

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今となっては総合格闘技が大晦日に放送される時代だが
この当時、総合格闘技という言葉なんてなかったし
UFCもなければバーリ・トゥードという言葉もMMAという言葉もなかった!

 

 

刺激的な対抗戦で「空手家」として衝撃的な登場を果たしたのだ。

 

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しかひ技のバリエーションが豊富なプロレスのリング上で

ひたすら蹴りと正拳突きで試合を組み立てていく様は
あれはあれで異種格闘技戦の趣きがあって観ていて面白かったのだが、
やはりプロレスラーとしては評価が低かったのかも知れない。

 

 

もしあなたが今の齋藤彰俊の姿しか知らなければ
過去の彼の姿を見たら驚くかも知れない。

 

 

正直、やられ役。

 

 

新日本VS誠心会館の抗争がひと段落して
反選手会同盟となった以降の斎藤彰俊のイメージはまさにそんな所だった。

 

 

「やられ役」正にこの言葉が哀しい程に当てはまる
ヨワヨワなイメージであったのは間違いない。

 

 

今もキック主体ではあるものの当時は

まさに空手着に身を包んだ空手家として
蹴って蹴って蹴りまくっていた。

 

 

記憶があるのはG1クライマックス。

 

 

本戦ではない試合だったと思うが
藤原組長を相手に蹴りと正拳突きの波状攻撃。

 

 

しかし蹴り脚をキャッチされスタンドのアキレス腱固めに捕らえられ
ギブアップを奪われてしまう試合があった。

 

 

残念ながら彰俊のイメージというとそんな感じなのだ。

 

 

また、パワー・ウォリアーとのシングル戦。

 

 

確か「齋藤彰俊試練の○番勝負」といったようなタイトルが付いていた気がするが、
所謂、先輩レスラーやトップレスラーの胸を借りる
といった意味合いが強い企画だったのだろう。

 

 

プロレスラーとしては圧倒的に格上になるパワーウォリアーを相手に対戦。

 

 

彰俊の蹴りを胸を突き出して受け切った後に

圧倒的なパワーでねじ伏せられて完敗・・・。

 

 

「悔しい」という感情すら奪い取られる程の
圧倒的な敗北を喫した事もあった。

 

 

そんな中でも、赤い道着を着た反選手会同盟時代から

紫を基調としたら平成維震軍になり、
青柳館長と共に生き馬の目を抜く新日マット上で逞しく生き延びてきたのだ。

 

 

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個人的には齋藤彰俊は大好きなプロレスラー。

 

 

なんたって不器用な感じがするしひたむきな気がする。

 

 

ヤングライオンと同じ扱いを続けられ
第1試合で来る日も来る日も永田裕志と闘っていた・・・

 

 

しかし腐る事なくずっと斎藤彰俊のプロレスを貫き通してきたのだと思う。

 

 

逆境に立たされるプロレスラーほど応援したくなるものはない。

 

 

判官贔屓というとおかしなものかもしれないが、

彰俊はずっと昔から応援したくなるものがあったのだ。

 

 

そんな齋藤彰俊も今は腕にタトゥーを入れたり
ダーク・エージェントなる闇の代理人チームを立ち上げたりと
かつての空手家スタイルよりも大分オシャレに(笑)

 

 

良い具合に西洋かぶれになった(笑)

 

 

これは当時を知るファンからするとなんだか単純に嬉しい。

 

 

タトゥーなんか、「誠心会館の斎藤彰俊」を続けていたら

あのデザインも絶対に無理だったろう(笑)

 

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齋藤彰俊がノアに参戦する様になってから
秋山準と絡みトップ争いに食い込む様になった姿はこれ程嬉しいものはないのだ。

 

 

そして、先程書いた様にパワーウォリアーに圧倒的敗北を喫してから十数年?

 

 

再びリング上で相対した斉藤は健介に堂々と渡り合うまでに。

 

2008.11.18にはこんな光景が!

彰俊の試合の記事で「強さ」にフォーカスされるなんて・・・

 

 

saitouakitoshi_kensuke
http://www.noah.co.jp/news_detail.php?news_id=979

 

 

これには感慨深いものがあっただろうと思うし、
何より見ている我々もこんな展開が訪れるなんて夢にも思わなかった!

 

 

頑張れ! 齋藤彰俊!

 

 

三沢光晴という大きな十字架を背負ってしまったが、
これも彰俊なら必ず乗り切れる。

 

 

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ミスターポーゴの「大・ポーゴ大王」発言を君は知っているか!?

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ミスターポーゴの「大・ポーゴ大王」発言を君は知っているか!?

まさに極悪人、残虐の限りを尽くすミスターポーゴ!!

 

 

ここのところFMW関係の投稿が続いているけど
FMWはなんとく振り返ればしんみりとした記事が多くなってしまう。

 

 

今回はそのムードを吹き飛ばすべく?

 

 

まさに極悪人、ミスターポーゴについて語ろう!

 

 

ミスターポーゴは思えば私、中村が「週刊プロレス」を定期的に取り始めた頃から
FMWにてその極悪非道ぶりを発揮していた。

 

 

週刊プロレス誌上で記憶があるのは確か

 

 

大仁田厚 対 ミスターポーゴの電流爆破デスマッチ

 

 

とは言っても大仁田とポーゴなんて
何回対戦しているか分からないレベルな訳だが、
確か珍さんが巻き込まれた回というのがあったな~。

 

 

今思えばミスター珍って・・・笑

 

 

FMWも本当に「なんでもあり」だったんだなぁ(笑)

 

 

いつも癒し系の試合をしてファンの人気者だった
珍さんだが、メインの抗争である大仁田、ポーゴ間に挟まれ
電流爆破に巻き込まれるという大変な事件があった。

 

 

まさにその煽動役もミスターポーゴ。

 

 

このミスターポーゴというプロレスラー、やる事なす事凄すぎる最凶の極悪人。

 

 

だってプロレスのリング上なのに

迷彩のバギーパンツはいて表れて鎖鎌攻撃をしちゃうのだ。

 

 

ミスターポーゴの攻撃の数々。

 

 

得意技はビッグファイアー
(炎を付けたタイマツを持ってガソリンを吹きかける火炎攻撃)

 

misuta-po-go2

 

そして鎖鎌を利用したチェーン絞首刑による失神KO・・・

 

misuta-po-go4

 

もはや何がなんだか分からない。

 

 

今思えばこれ程ブッ飛んだ男もいない。

 

 

しかし当時の中村少年は平然とそれを受け容れていたものだから
常識というのは恐ろしいものだ(笑)

 

 

当時の週刊プロレスを読めば毎週の様にFMWのデスマッチ、
ストリートファイトトルネード6人タッグマッチの

試合記事が載っていたのだから免疫もつく。

 

 

当時はマンガやアニメで描かれたり流行りの格闘ゲームの中にあるような
過激なデスマッチが現実にもあるんだ!
と感動してワクワクしてしまったものだ。

 

 

そんなミスターポーゴ。

 

 

その振り切れっぷりは気持ち良い程で
相手選手に凶器攻撃を仕掛ける度の
観客席の悲鳴もまさにしたやったりといった所だったろう。

 

 

 

そんなポーゴのもう一つの姿がポーゴ大王、

そして更にグレードアップした「大・ポーゴ大王」だ。

 

「大・ポーゴ大王」降臨の予告に週プロの反応は・・・

 

この「大・ポーゴ大王」は確かグレート・ニタと対抗する為に生まれた
超生命体だった気がするが、これを試合後の控え室インタビューで発表した際に
週刊プロレスに書かれていた試合リポートが秀逸。

 

misuta-po-go3

 

 

「大・ポーゴ大王だっ!」

 

 

とっさに考え付いた為かなんともチープなネーミングになってしまったが、
きっと更にパワーアップしたポーゴ大王が出現するという事だろう。

 

 

という・・・記憶は定かではないが
こんなニュアンスで書いてあった気がする笑

 

 

なんともチープなネーミングになってしまったが

 

 

とか 笑

 

 

ププッ。クスクス。

 

 

ちょいちょい週プロの突っ込みは

 

 

そんな事書いちゃっていいの?

 

 

って内容もあり面白いのだが、

 

 

御多分に洩れず、ポーゴの発言も突っ込まれていたのだった。

 

 

このグレート・ニタとポーゴ大王の抗争が行われていたのが1995年頃。

 

 

札幌中島体育センターにてシングルマッチが行われていたがその時の様子がこちら。

 

グレート・ニタVSポーゴ大王

 

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不敵な笑みを浮かべるグレート・ニタに対するポーゴ大王。

 

 

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試合は有刺鉄線バットを用いたポーゴ大王だが
攻撃してもゾンビの様に迫ってくいるグレート・ニタに
一瞬怯えた様な表情を見せてひるむ場面も・・・

この試合はグレート・ニタの勝利。

 

 

一旦3カウントが入ろうとした所をわざわざ肩を上げさせたグレート・ニタ。

 

 

再度有刺鉄線ファイヤーバットによる

追い打ちを加え3カウントを奪うという念の入りようだった。

 

 

ちょっと過激過ぎて当ブログでは写真を載せられないっす・・・すいません。

 

 

言葉で想像して下さい!!

 

 

大仁田引退ツアーの相手をずっと務め続けたのが
ポーゴであって、大仁田が輝けたのもミスターポーゴがいたからこそ!

 

 

そして大仁田引退後の新生FMWでは超強過ぎる敵の象徴的存在、

最強のラスボス的立ち位置で存在感を示してくれた。

 

 

少年マンガでも敵だけど人気キャラというのがいる。

ポーゴは正しくそのタイプだった。

 

 

週刊少年JUMP恒例、人気キャラクター投票をしたら
恐らく5位以内くらいには入っただろう(笑)

 

 

関川哲夫、又の名をミスターポーゴ。

 

 

後にも先にもこんな極悪人はいない。

 

 

これこそがポーゴに対する最大級の賛辞。

 

 

ただのヒールという言葉では収まりきらない
まさに天下無双の極悪人であった。

 

 

 

「プロレスラー」ハヤブサさん安らかに・・・

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「プロレスラー」ハヤブサさん安らかに・・・

華麗な空中殺法を得意としていた
「プロレスラー」ハヤブサさんが

くも膜下出血の為、亡くなった。

 

 

47歳だったという。

 

 

大変辛いニュースだった。

 

 

ハナブサさんの素顔というと
“H”(エイチ)として活躍していた頃のイメージが強いから
47歳と言われるとあれから随分月日が起ったんだなと思う。

 

 

ハヤブサプロレス2
週刊プロレスの表紙に登場した新キャラクター”H”(エイチ)

 

 

 

 

ハヤブサさんは1991年にFMWにて素顔でデビュー。

 

 

かつて団体間の交流の殆どなかった時代に行われたジュニアの祭典、
第1回スーパーJカップに邪道大仁田厚率いるFMWに所属しながらも参戦。

 

ハヤブサプロレス4

 

当時の絶対的王者、獣神サンダー・ライガーを相手に

一歩も引けを取らない戦いを見せて

当時偏見の目で見られていたインディーに対する見方を一変させた。

 

 

更には新崎人生とのタッグで全日本プロレスのリングにも上がるなど
華々しいキャリア、華々しいファイトスタイルで
マット界に存在感を示し続ける存在だった。

 

ハヤブサプロレス5

 

 

大仁田厚引退試合の相手をつとめた後は
新生FMWのマットで正統派エースとして君臨、

更にマスクの下の素顔を見せた

ちょっとエッチな?キャラクター”H”エイチにもなって活躍し続けた。

 

 

まさにスター性のあるレスラーだった事は誰もが認める所だろう。

 

 

残念ならが2010年の10月、試合中の事故により
頸椎を痛めてしまい、その後はリングを離れる事を余儀なくされてしまった。

 

 

※因みにYouTubeで「過激映像まとめ」の様なものでこの事故のシーンを
面白可笑しく取り上げている様な動画があったが
これを見た時は非常に不愉快で腹立たしいものだった。
ただお金稼ぎの為だけに動画を作成する人がいると
この様な使われ方をされてしまうのだ。
こういった風潮には断固として反対したい。

 

ハヤブサさんにサインをお願いした想い出も。

 

さて、話を戻すとこんな中村も生前のハヤブサさんの
試合を生で観戦した事があり、更には試合前に
サインをおねだりして頂いた事があった。

 

 

サインを頂いたのは観戦に行ったW☆INGの旗揚げ戦での事だ。

 

金村ゆきひろ、非道、保坂秀樹の3名を中心としたメンバーで行われた

後楽園ホールの大会。

 

W☆ING take off 2nd である。

 

ハヤブサプロレス3

W☆INGとかもう知ってる人も少ないのかな・・・?

 

 

たった3人の旗揚げ戦との事で、先に挙げたメンバーはダブルヘッダーの構え。

 

そしてその中でまさかの金村ゆきひろが出場出来ず。

 

 

実質、非道と保坂秀樹を応援する形になった旗揚げ戦だった。

 

 

余談になるが、この旗揚げ戦の熱気といったらなかった。

 

 

後楽園ホールという空間は、非常にプロレス向きとはよく聞くが、
まさに旗揚げ戦の空気とインディーのごちゃごちゃした空気感が相まって、
最初から最後まで凄い熱気で駆け抜けた大会だった。

 

 

そんな大会のメインイベントは

 

 

非道 対 ハヤブサ

 

 

ハヤブサプロレス6

 

 

金村の欠場によりマッチメイクは

色々と変わったのだと思うが、その影響を感じさせない

最高の盛り上がりを見せたメインイベント。

 

 

そのメインイベントで非道の対戦相手となった
ハヤブサさんはこの日限りの限定メイクで
ブラックハヤブサとして観客の前に姿を現した。

(後日発売の週刊プロレスでは確か「悪ブサ」と書かれていたが)

 

ヒールカラー全開。

 

 

普段の非道=ヒール

 

ハヤブサ=ベビー

 

 

という図式を正反対にして、この日ばかりは旗揚げ戦の主役である
非道を盛り上げるべく悪者に徹して華を添えた。

 

 

そんな一夜限りの変身を果たした悪ブサが降臨する数時間前に
後楽園ホールの上へ上がるエレベーターに乗る前の
会場入りしたハヤブサさんを捕まえて
Tシャツにサインをしてもらったのを覚えている。

 

 

当時の中村少年はこれまた中学生くらいだったと思う。

 

 

沢山荷物を持って両手が塞がっていたにも関わらず
ハヤブサさんは駆け寄る少年に優しく対応してくれた。

 

 

今思えば、たった一瞬、見掛けた隙に
近付いていってわざわざサインをおねだりするなんて 結構自分も大胆だと思う。

 

 

さて、そんなハヤブサさんはリング上で活躍出来た期間は極めて短く、
例の技の失敗以降の方がずっと長かったんじゃないだろうか。

 

 

元々、昔ながらの「正体不明のマスクマン」
という触れ込みではなく、素顔に関しても公開されてた訳だから
車椅子に乗りながらわざわざマスクをして
「ハヤブサ」を名乗る必要もなかっただろう。

 

 

しかし敢えてその後もマスクをかぶり続け
マスクマン「ハヤブサ」に拘ったのはきっと意味があるに違いない。

 

 

その心中を思えば思うほど熱いものが込み上げてくる。

 

 

ハヤブサさんは歌が上手く、歌手としての活動もされていたが
ハヤブサさんのオフィシャルブログには
「シンガーソングレスラー」と書いてあった。

 

 

なるほど、やっぱりハヤブサさんは最後まで「プロレスラー」だったんですね。

 

 

ハヤブサオフィシャルブログ

 

 

 

この記事を書いている今(2017年4月1日現在)
ブログは直前まで何事もなく更新されていて
まだハヤブサさんが元気にしているかの様だ。

 

 

「終わり」なんて意識せず、最期まで駆け抜けたんだと感じる。

 

 

不死鳥、ハヤブサ!

 

 

本当にありがとう。

 

 

永遠に!!

 

 

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大仁田厚引退試合@川崎球場、電流爆破の衝撃!

この記事は約 4 分で読めます

大仁田厚引退試合@川崎球場、電流爆破の衝撃!

プロレス界に常に話題を撒き散らしていった
問題児? 邪道、大仁田厚。

 

 

「邪道」という異名は誰が言い出したか分からないけれど、
これ程ピッタリとイメージにどハマりしてるのも或る意味凄い!

 

 

まさしく邪道というその呼び名に相応しいプロレス道を歩んだ、

大仁田厚の引退試合には不肖中村、生観戦に足を運んだ。

 

 

もはや何度引退と復帰を繰り返しているか分からない大仁田厚。

 

 

ここで取り上げているのはWARの天龍源一郎に敗れ、
1年間の引退ツアーを行った後、川崎球場で
弟子のハヤブサを相手に行った引退試合の事だ。

 

 

この引退試合というのも、当時大仁田厚と二人三脚で
時には憎まれ役になりながらもFMWを支えてきた
ターザン後藤の電撃離脱の直後。

 

 

元々ターザン後藤を相手に引退試合を
行う予定だったが、そのターザン後藤らの離脱により
急遽対戦相手は変更されハヤブサになったのだった。

 

 

大仁田厚引退試合
世界ブラスナックル選手権試合
ノーロープ有刺鉄線金網電流爆破時限爆弾デスマッチ

 

 

今思えばハヤブサにとっても酷な話だ。
それまでメキシコで空中殺法に磨きをかけていたにも関わらず、
帰国第一線が電流爆破とは・・・。

 

 

この試合とマッチメイクに対する裏話的な事は色々とある様だが、
そこを深掘りするのは当記事の趣旨とは違うので進めていこう。

 

 

さて、川崎球場は何せ屋外球場なので
メインイベントに至る頃は日もとっぷりと暮れている。

当時の中村少年はそれこそ中学1年生か2年生にして
川崎参戦していたし、今の様に便利なインターネットやスマホも無い。

 

 

親が書いてくれたメモ紙を頼りに

 

 

「登戸ってトコで乗り換え!」

 

 

これだけを頼りに辿り着き、観戦、

そしてメインイベント前の電流爆破設営準備の時間を利用して

母親の用意してくれたウインナーとおにぎりの弁当をハフハフと食べながら
試合開始を待ったものだ。

 

 

さて、すっかり日の落ちた川崎球場は
既にお目当の大仁田厚引退試合を前に
ボルテージマックス!!

 

 

何せ当時のFMWといえば選手層は薄く
お客さんを呼べる様な人気レスラーは数える程しないかった。

 

 

前座の試合はまさに「前座の試合」であり
メインイベントの輝きを奪い取る程の
実力と魅力を兼ね備えたレスラーが実際なかなかいなかった。

 

 

勿論、これはプロレス特有の
第1試合からメインイベントまでの「流れ」も
興行として考えられていたのだと思うが・・・。

 

 

そしてこういっては他の選手には申し訳ないが
言葉を選ばず言えばこの日の観客は殆どが
大仁田厚の引退試合「のみ」を目的に来場していて、
それ故、後半に向けた会場の期待値の高まり方は異様だった。

 

 

遂に始まるメインイベント。荒井リングアナの名調子が復活!

 

 

大仁田厚引退試合に限り、限定で

それまでFMWの名物リングアナアンサーとして知られた

荒井昌一アナが復活し前口上を披露してくれた。

 

 

とは言っても、中村はそれまでFMWを生で観戦した事はなかったから、
そのプレミアム感は分からなかったが・・・。

(荒井アナは後に自殺をされてしまう・・・とても残念だ。)

 

 

実際試合開始してからは独特の展開が続く。

 

 

デスマッチ形式の試合はロープがない事で
試合の組み立てに大きな影響を与える!

 

 

この独特のスリリングな展開がたまらない。

 

 

あの特殊な環境、スタンドでもグラウンドでも
観客は周りに電流爆破が張り巡らされている事を
否応無しに意識せざるを得ない。

片時も忘れる事は出来ないのだ。

 

 

そんな中で中の2人が、

あたかも周りの電流爆破の存在を忘れたかの様な
動きをする時にはハラハラドキドキしっぱなしである。

 

 

そして遂に訪れる電流爆破、その瞬間!!

 

 

ババン!!

 

 

大仁田厚引退試合ハヤブサ2

 

 

この電流爆破の衝撃はヤバイ!!

 

 

ただ音がして火花が飛び散るだけではないのだ。

 

 

遠く離れたスタンドの観客席にまで
その衝撃は空気の振動となって伝わってくる。

 

 

腹にズシン!と響くのだ。

 

 

これは花火のイメージをしてもらいたい。

 

 

川崎球場の中心からスタンド席までも
電流爆破の光、爆発、そして振動が時差で届くのだ。

 

 

これの衝撃は見た者にしか分からないだろう。

 

 

電流爆破デスマッチは当然「週刊プロレス」などの
誌上でも振り返る事が出来るしビデオでも発売されている。

しかし、後からテレビでみた所でこの腹に響く空気の振動や、
風に吹かれて飛んでくる独特の火薬のニオイなどは感じる事が出来ない。

 

 

この電流爆破デスマッチは正に
生で観戦して良かったと思えた試合である。

 

 

この衝撃に観客席は騒然。

 

 

よくプロレスをショーだの八百長だのと
言う輩がいるが、そういった輩に向けて大仁田が言うセリフ

 

「じゃあアンタ、この俺の流している血もニセモノだっていうのかい?」

 

というこの言葉が正に突き刺さる瞬間だ。

 

 

とにかくあの瞬間、あの会場に白けた人間は誰もいなく、
ただただ全員が度肝を抜かれている瞬間なのである。

 

 

そんな衝撃の電流爆破が幾度か訪れた後、
時限爆弾の起動スイッチが押され警告音が鳴り響く!!

 

 

この警告音、サイレンの様なものだが
何故こんなにも人を不安に陥れるのかと思う程、これまたドハマりである。

 

 

最後まで緊張感が抜けない!

 

 

一瞬たりとも目が離せない!

 

 

そして時限爆弾の爆発・・・!!

 

 

ババン!!

 

 

大仁田厚引退試合ハヤブサ3

 

 

凄まじい爆発音と共にその日最大級の衝撃がまた
このスタンド席まで刺さる様にとどろき渡った。

 

 

ハヤブサの金網上からのムーンサルトなど感動のシーンも訪れ

 

大仁田厚引退試合ハヤブサ4
最後は大仁田のサンダーファイヤーパワーポム。

 

 

大仁田厚引退試合ハヤブサ5

 

 

白煙の立ち込める中3カウントが数えられる、もの凄い激闘であった。

 

 

この引退試合以降、大仁田がリングからいなくなった
新生FMWは大仁田時代のデスマッチ・ストリートファイトカラーを消し、
正統派レスリング志向に転換するなどデスマッチの機会は極端に少なくなった。

 

 

後々もIWAジャパンや大日本プロレスなどが
デスマッチを行なっていたがやはり「電流爆破」ではない。

 

 

この大仁田の専売特許である「電流爆破デスマッチ」
これを生でみた衝撃は今も忘れず心に残っているのである。