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- 斎藤彰俊
遅咲きの格闘拳士、齋藤彰俊!!
キミは齋藤彰俊を知ってるだろうか?
ノアを主戦場としている齋藤彰俊、
皮肉な話ではあるが、三沢光晴に最期に技をかけた男として
有名という側面はあるかも知れない。
しかし、そんな齋藤彰俊も過去には
上下共に道着に身を包んだ空手家として
新日本のリングに上がっていたのだ。
斎藤彰俊は青柳政司館長と組んで誠心会館として
新日本プロレスに殴り込み。
プロレス 対 空手
という構図の異種格闘技戦で登場した。
今となっては総合格闘技が大晦日に放送される時代だが
この当時、総合格闘技という言葉なんてなかったし
UFCもなければバーリ・トゥードという言葉もMMAという言葉もなかった!
刺激的な対抗戦で「空手家」として衝撃的な登場を果たしたのだ。
しかひ技のバリエーションが豊富なプロレスのリング上で
ひたすら蹴りと正拳突きで試合を組み立てていく様は
あれはあれで異種格闘技戦の趣きがあって観ていて面白かったのだが、
やはりプロレスラーとしては評価が低かったのかも知れない。
もしあなたが今の齋藤彰俊の姿しか知らなければ
過去の彼の姿を見たら驚くかも知れない。
正直、やられ役。
新日本VS誠心会館の抗争がひと段落して
反選手会同盟となった以降の斎藤彰俊のイメージはまさにそんな所だった。
「やられ役」正にこの言葉が哀しい程に当てはまる
ヨワヨワなイメージであったのは間違いない。
今もキック主体ではあるものの当時は
まさに空手着に身を包んだ空手家として
蹴って蹴って蹴りまくっていた。
記憶があるのはG1クライマックス。
本戦ではない試合だったと思うが
藤原組長を相手に蹴りと正拳突きの波状攻撃。
しかし蹴り脚をキャッチされスタンドのアキレス腱固めに捕らえられ
ギブアップを奪われてしまう試合があった。
残念ながら彰俊のイメージというとそんな感じなのだ。
また、パワー・ウォリアーとのシングル戦。
確か「齋藤彰俊試練の○番勝負」といったようなタイトルが付いていた気がするが、
所謂、先輩レスラーやトップレスラーの胸を借りる
といった意味合いが強い企画だったのだろう。
プロレスラーとしては圧倒的に格上になるパワーウォリアーを相手に対戦。
彰俊の蹴りを胸を突き出して受け切った後に
圧倒的なパワーでねじ伏せられて完敗・・・。
「悔しい」という感情すら奪い取られる程の
圧倒的な敗北を喫した事もあった。
そんな中でも、赤い道着を着た反選手会同盟時代から
紫を基調としたら平成維震軍になり、
青柳館長と共に生き馬の目を抜く新日マット上で逞しく生き延びてきたのだ。
個人的には齋藤彰俊は大好きなプロレスラー。
なんたって不器用な感じがするしひたむきな気がする。
ヤングライオンと同じ扱いを続けられ
第1試合で来る日も来る日も永田裕志と闘っていた・・・
しかし腐る事なくずっと斎藤彰俊のプロレスを貫き通してきたのだと思う。
逆境に立たされるプロレスラーほど応援したくなるものはない。
判官贔屓というとおかしなものかもしれないが、
彰俊はずっと昔から応援したくなるものがあったのだ。
そんな齋藤彰俊も今は腕にタトゥーを入れたり
ダーク・エージェントなる闇の代理人チームを立ち上げたりと
かつての空手家スタイルよりも大分オシャレに(笑)
良い具合に西洋かぶれになった(笑)
これは当時を知るファンからするとなんだか単純に嬉しい。
タトゥーなんか、「誠心会館の斎藤彰俊」を続けていたら
あのデザインも絶対に無理だったろう(笑)
齋藤彰俊がノアに参戦する様になってから
秋山準と絡みトップ争いに食い込む様になった姿はこれ程嬉しいものはないのだ。
そして、先程書いた様にパワーウォリアーに圧倒的敗北を喫してから十数年?
再びリング上で相対した斉藤は健介に堂々と渡り合うまでに。
2008.11.18にはこんな光景が!
彰俊の試合の記事で「強さ」にフォーカスされるなんて・・・
これには感慨深いものがあっただろうと思うし、
何より見ている我々もこんな展開が訪れるなんて夢にも思わなかった!
頑張れ! 齋藤彰俊!
三沢光晴という大きな十字架を背負ってしまったが、
これも彰俊なら必ず乗り切れる。
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