この記事は約 3 分で読めます
- 投稿 2017/07/06
- 越中詩郎
越中を一躍有名にしたのは
やはりUWF勢との対抗戦における
高田戦ではなかったでしょうか!
男越中というか「侍」という言葉が似合う男でした。
とにかく“耐える”という美学は
この越中の姿だったのではないでしょうか。
本日は男、越中と高田伸彦(延彦)の
絡みについて書いていきます!
スポンサードリンク
不完全燃焼感があったヘビー路線の新日とUWF
長州率いる維新軍が新日での役目を終えて、
全日へと大量移籍した新日本に現れた第一次UWFの面々。
新日とUWFでのどちらが本当のストロングプロレスかという
興味が増し、いやが応にも注目は集めました。
しかし、実際ファンが見たかったのは猪木対前田でしたが、
中々実現する事はなかったのでした。
そして新日勢はUWFのキックと関節というスタイルに中々適応できずに、
新日は弱いという考えが広がっていきました。
それに猪木と前田という対戦は組まれる事もなく、
なぜか猪木対藤原戦が多かったのも事実でした。
そんな中ヘビー戦線で全面に出たのは藤波です。
後世に伝えられる名勝負「藤波 対 前田」は
壮絶な戦いの記憶を残し、新日ファンの一定の満足度は得られました。
後に前田は「藤波さんが戦ってくれたから助かった」とまで言っていました。
しかし、ヘビー戦線は不完全燃焼感はありました。
Jrという枠は超えた
そんな中、Jr戦線ではUWFの高田・山崎と誰が戦うかという問題が発生しました。
当時山田(ライガー)も若手で適任者がいない中、
タッグなどで対戦していたのはIWGPJrチャンピオン越中でした。
そして結果としてキックというあまり慣れない攻撃に対し
越中は“人間サンバッグ”と化したのです。
とにかく蹴られて、蹴られて、そんな越中はその当時は辛かったのではと思います。
しかし、ここで終わらないのが侍越中です。
その攻撃に耐えて反撃をするようになるのです。
初対決では越中が呆気なく倒された背景もあり、
UWFには勝てないという気持ちが強い中、二回目の対決では両者リングアウト、
そしてとうとう越中が高田にフォール勝ちすると言う所まできました。
その後は一進一退の戦いが続きます。
これは越中だけでなく高田にとっても重要な戦いだったと思います。
身を削るような戦いはJrという戦いは超えたと思います。
初めは失笑されていた越中の“ヒップアタック”も認知されていきます。
そしてその戦いは二人のタッグという形までいきます。
これはブロディーとスヌーカの突然の離脱により、
空いた席に越中・高田組が組み込まれた形でした。
そのタッグの全力投球で試合をこなす姿は清々しい限りでした。
後に再度の対戦となる越中と高田
そして時は流れ、
新日に乗り込みIWGPヘビーのベルトを獲った高田と越中が対戦しました。
この試合も熱戦でした。
高田のキック、越中のヒップアタックなど持ち味を発揮した結果、
最後はハイキックからの腕ひしぎ逆十字で高田の勝利!
その後のインタビューで高田が語った事が越中の全てを表しています。
“逃げなかった”との越中評は高田対越中の対戦の全てだったと思います。
UWFが来た時に越中が逃げていたら
今の高田も越中もなかったのではないでしょうか。
この言葉が全てでしたし、敵地UWFインターのリングにも拘わらず、
大越中コールはその評価の現れでした。
ヘビーを超える興奮を与えたJr戦士
越中対高田戦は「Jrでもヘビーを超える戦いが出来る」
という証明ではなかったでしょうか。
Jrでは藤波、初代タイガー、小林、ダイナマイト・キッドなどがいたのですが、
そういった戦いとは一線を博す戦いだったと思います。
何か異種格闘技のような絶妙な緊張感・・・
それが興奮を呼び、Uと新日の抗争を超えた戦いとなりました。
今でも試合映像を見るとシンプルでいて、
また興奮する戦いだと感じます。
「越中 対 高田」プロレスファンなら押さえるべき
名勝負と言えるでしょう!
スポンサードリンク