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プロレス名勝負数え唄

月別:2017年07月

「邪道姫」工藤めぐみ。絶対抑えておくべき名勝負3戦!

この記事は約 4 分で読めます

「邪道姫」工藤めぐみ。絶対抑えておくべき名勝負3戦!

さて、前回記事の続きです!! 因みに前回記事はこちら

「邪道姫」工藤めぐみの魅力!くどめについて語る。

 

 

いや~工藤めぐみさん、お美しいですね!!

 

 

普通、何も知らずに写真だけ見たら

こんな綺麗な女性が一体何の仕事してるのかと思いますね。

 

 

それが蓋を開けたら「邪道姫」とか「爆破女王」って言われた日には

ギャップあり過ぎてなんだか意味が分からないレベルです(笑)

 

 

という訳で工藤めぐみ程体を張った女子プロレスラーはいません。
といっても過言ではないでしょう!

 

 

誰があんな過酷なデスマッチをするのか・・・と。

 

 

男子でも中々しませんが。
(近年はレジェンド級のレスラーが挑戦している姿は批判されてますが)

 

 

そんな工藤めぐみの名勝負戦を幾つか紹介いたします。

 

 

ちょっとマイナー系ですが、お構いなしに行きます!!

 

 

工藤の名勝負戦① 工藤めぐみ対紅夜叉

 

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1994年7月14日に行われたLLPW
(神取やキューティー鈴木在籍)との対抗戦の一試合でしたが、
圧倒的な実力差でしたね。

 

 

紅夜叉はLLPWのヒールレスラーで
ヤンキーキャラで売り出していたラフファイターでしたが、
工藤めぐみの敵ではなかったですね。

 

 

キャラ重視の紅とは違い、工藤は下地がしっかりしてますからね。

ヒップアタック1つでも大きな違いが見て取れます。

 

 

工藤のヒップアタックは可愛い!

 

 

・・・失礼しました。迫力が違いますね。

 

 

技を受けるだけ受けて、最後はきっちり押さえました。

 

 

役者の違いでしょうか。紅もラフを仕掛けるのですが、軽いですね。

 

 

差がはっきりでました。

 

 

工藤ファンとしては不完全燃焼ですが、
魅力を再発見できる試合です。

 

 

工藤の名勝負戦② 工藤めぐみ対神取忍

 

kudoumegumi_gazou6

 

続いてもLLPW対抗戦から。Mr.女子プロ神取

ノーロープ有刺鉄線爆破マッチです。

 

これはこの方式が工藤に味方しました。

 

 

この試合の前に2勝している神取と後がない工藤。
得意のデスマッチで盛り返せるのでしょうか。

試合は緊張感のある試合でした。

 

 

特に序盤のお互いを有刺鉄線に投げようとする攻防は
結構見応えがありました。

 

 

力を込めて鉄線に押し付ける姿は息がつまりそうです。

技の攻防もそこそこあり、ロープに振らないプロレスの
緊張感って結構凄いですね。

 

 

神取の凶器パンチで工藤の額が切れて
その後は神取の額が切れてと凄惨な試合でした。

 

 

しかし、徐々に戦い慣れた工藤の老獪さが出てきて反撃に転じます。
有刺鉄線でお返しの攻撃で神取を流血させてペースを握っていくと、
そのまま有刺鉄線に投げつけると爆破も味方して、徐々に結末が近づいてきます。

 

 

最後は抑え込みで神取からピン勝ちでした。
最後は健闘を称えて握手を交わします。

 

 

工藤の名勝負戦③ 工藤めぐみ対シャーク土屋 引退試合

 

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kudoumegumi_gazou7

 

最後の工藤めぐみです。対戦相手は盟友とも言えるシャーク土屋です。

有刺鉄線電流爆破デスマッチという過酷な場所が引退試合の舞台でした。

この頃はシャーク土屋のヒールっぷりも半端なく、
「女ポーゴ」といった立ち位置でしたから、対戦の構図も完璧でした。

 

 

また、実力も十分というファンの認識がありました。

鎌で傷付けられ、椅子へのパイルドライバーなど

 

 

なぜここまでするのだろうと言う気持ちが沸々湧き上がります。

しかし、最後のリングで工藤は輝きました。

 

ボロボロになっても立ち上がる姿は感動ものです。

 

 

“死んじゃう”という声が出てくる中で、
最後は二人爆破の後の倒れ込みフォールは
この激戦の傷跡を物語っているでしょう。

 

 

工藤めぐみがルックスだけのレスラーではないという事が分かる試合です。

 

 

最後は救急車にて搬送と最後まで全力の“くどめ”でした。

 

 

工藤めぐみとデスマッチ

 

 

工藤めぐみのターニングポイントは、FMW参戦でしょうか。
全女に残っていたらルックスだけの中堅レスラーとして終わっていたかもしれません。
(ブル中野との対戦を見ているとそう思います。

負けん気が強いのでもっと上に行ったかもしれませんが)

 

 

女子初の有刺鉄線を戦った事で、
デンジャラスクイーンの称号と邪道姫という名前が付きました。

 

 

ストリートファイトマッチ、有刺鉄線、爆破マッチと
様々なデスマッチを戦った事で、輝く事が出来ました。

 

 

彼女の居場所はここにあったのでしょう。

 

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インディー系の団体で頑張った事で世間に認められました。

やはり、工藤めぐみのようなレスラーは
インディー系の団体で輝る存在だったのでしょう。

 

 

今後色々な過激な戦いがあるでしょうが、
くどめの功績が色褪せる事はないでしょう!!

 

「邪道姫」工藤めぐみの魅力!くどめについて語る。

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「邪道姫」工藤めぐみの魅力!くどめについて語る。

FMWを評して、大仁田は“おもちゃ箱”と言った事がありましたね!
その表現は実に的を射ていたと思います。

 

 

初期のFMWにはサーカスのような、何でもアリ的な雰囲気がありました。

ミゼットからデスマッチ、更に女子プロと怪しい雰囲気全開でした。

 

 

そもそもFMWは「フロンティア・マーシャルアーツ・レスリング」
の頭文字をとって、FMWという団体名だったんです。

 

なんと、新しいファンは知らないかも知れないけど、
初めは総合格闘技路線だったんだよね!!

 

まぁ、総合って言っても怪しい異種格闘技戦みたいなやつですね!(笑)

 

 

しかし! 後半は真逆? 完全なるデスマッチ路線へと変更されていきました。

 

何がマーシャルアーツなんだか原型留めてないけど、ま、いっか!
って感じで・・・(笑)

 

 

この路線は結果として当たりましたね。

 

 

しかし女子プロは初めは里美和をエースに据えるも
中々レベルが低いと言えました。

 

 

そこに現れたのがアウトブレイカーズでした。
そこにいたのが工藤めぐみ!!

 

という訳で強引な流れの中、工藤めぐみを語る流れです!!

 

 

では言ってみましょう。

 

 

女子プロレスラー“くどめ”こと工藤めぐみとは

 

kudoumegumi_gazou2

 

 

工藤めぐみは1986年全女(ゼンジョ=全日本女子プロレス)に入団しました。

 

 

実はそこの同期が凄いんです。

 

 

後に女子プロを引っ張っていく事となる、アジャ・コング、バイソン木村、

前田薫(KAORU)がいました。凄い豪華ですね。キャラも濃ゆい面々!!

 

 

しかし、突然の全女退団をします。

その後、保育士助手をやっていたのですが、
プロレスの血が騒いだのか、突然FMWに乱入!

 

 

シャーク土屋、コンバット豊田、天田麗文と共に
FMW女子を改革すると言う前提で乱入します。

 

 

ヒールから入っていくのですが、
抜群のルックスでベビー転向FMW正規軍へと参入します。

 

 

そしてその後は、豊田や土屋と抗争を繰り広げる・・・という形なんですね。

 

 

1996年5月5日には世界初の女子による電流爆破デスマッチ
コンバット豊田と決行します。(これがコンバット豊田の引退試合)

これは当時は世界的にも大きな話題となりました。

 

kudoumegumi_gazou3

 

 

そして約1年後、1997年4月29日横浜アリーナで
盟友シャーク土屋との試合で引退します。

 

 

これもまた試合形式は

ノーロープ有刺鉄線電流爆破バリケードダブルヘルデスマッチ!!

 

 

現在は非道さんと結婚して幸せな生活を送っていると思っていましたが、
工藤めぐみエクスプロージョンとして現役復帰を昨年する予定でしたが、
ケガの為にそれは叶わない事でした。ただ、爆破十字架に磔にされましたが。

 

 

超花火プロレスを現在は盛り上げようと頑張っています。

 

 

工藤めぐみは邪道姫から爆破女王へと

 

 

工藤めぐみを評する言葉はたくさんありますが、
一番しっくりくるのは大仁田とのツートップで
FMWを支えた為についた“邪道姫”ですが、
他にもデンジャラスクイーンからハードコアクイーンなどがあります。

 

 

やはり、女子として過激なデスマッチを繰り広げた事が
そのニックネームを襲名した原因でしょう!!

 

 

で、現在は、超花火プロレスのプロデュースをしている関係で
爆破女王という過激なニックネームを襲名しています。

 

 

うーん、それって格好いいのかな・・・?と思います。
やはり、個人的には「邪道姫」の方がしっくりきますね!

 

 

FMW女子時代の“くどめ”

 

 

ここから工藤めぐみの魅力についてもっと掘り下げましょう。

 

 

工藤めぐみは前述のように全女から突然FMWに参戦しました。

この頃のFMW女子はぬるかったですね。

 

 

里もいたのですが、イマイチ盛り上がりに欠けました。
そんな時に現れた工藤・豊田・土屋はかなりインパクトがありました。

 

 

当時のプロレス雑誌にも大きく取り上げられました。

その後ヒールからベビーターンに変わった工藤ですが、これは必然です。

 

 

だって可愛いですから!!

 

 

kudoumegumi_gazou4

 

というより、クールビューティー?みたいな感じですかね。

 

 

失礼な言い方土屋や豊田の方がヒールっぽくて分かりやすい構図ですね。

 

 

当然、全女時代からグランドなどのプロレス技術には
定評があった工藤でしたので、魅せるプロレスから
強いプロレスを披露してくれました。

 

 

そして、下地が出来はじめたFMW女子にも変換期が訪れます。

FMWのデスマッチ路線です。

 

 

いやがおうにも、女子にも影響してとうとう
有刺鉄線爆破マッチが豊田と工藤の間で行われます。

 

 

インパクトは凄かったですね。

 

 

でもここでも気の強い工藤が見られます。
やらっれぷりも攻撃も素晴らしいですね。

 

 

という事で次回に続きます!!

 

「邪道姫」工藤めぐみ。絶対抑えておくべき名勝負3戦!

 

 

祝! 桜庭和志UFC殿堂入り! 総合とプロレス

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祝! 桜庭和志UFC殿堂入り! 総合とプロレス

嬉しいニュースが先日入ってきました!

 

 

あの桜庭選手が総合での功績を称えられて殿堂入りを果たしたんですね~~。

 

 

総合でグレイシーハンターの異名を持ち、
かのグレイシー一族をなぎ倒す姿には胸がスカッとする思いがありました。

 

 

なぜ、桜庭が殿堂入りした事がこんなに嬉しいかと言うと
それにはプロレスと総合の苦い歴史があるからです。

 

 

またそれには、日本の格闘技(柔道など)も救われた部分もあるでしょう。

 

 

ということで、今回は桜庭和志選手の功績を称えつつ

プロレスと総合の関わりについて語ってみましょ~~!!

 

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プロレスにかってない試練

 

 

inoki_arisen

 

さて、プロレス最強神話って知ってますか!?

 

これは古くは力道山と木村政彦から始まります。
アメリカのプロレスラーを倒す力道山は本当に強いのかと。

 

 

それを証明する戦いが木村戦でした。この試合は後に物議を醸しだすのですが。
(力道山のえぐすぎる戦いの為に)とりあえずはプロレスはここで勝ったのです。

 

 

その後のターニングポイントは、猪木の異種格闘技路線です。
そのメインはウィリー・ウィリアムス戦です。
これも勝ったのですが、結構いろいろ

後述談が出てきてすっきりはしなかったです。

ウィリアム・ルスカとの対戦でも結構猪木はえぐいのですが。

 

 

そして、その後世紀のボクシングヘビー級チャンピオン、

モハメド・アリとの対戦がありました。

 

 

世紀の凡戦とまで言われたこの試合は制限つきの試合でした。
(寝技ルールなど結構猪木不利でした)

 

 

しかしプロレス最強神話は何とか体裁を保ちつつ、90年代を迎えます。

 

 

そこはプロレスにとって危機でした。

 

 

本業のプロレスは闘魂三銃士、全日四天王など隆盛を究める一方で
K-1やPRIDEと言った総合が人気を博してきます。

 

 

当然、プロレスラー最強はちょっとぐらつきます。

 

 

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総合勢に負けるプロレスラー

 

annjyouyouji_gureishi-

 

現在のMMAは当時バーリトゥードという
急所攻撃以外何でもアリと言う危険な格闘技から生まれました。

 

 

そこに居座ったのがグレイシー一族でした。

 

 

そのボス、ヒクソンは400戦無敗と言う伝説を持っていました。

 

 

hikusongureishi-_yoga
ヒクソンの修行法でヨガが話題になった!

 

 

「400戦無敗」ってあーた・・・

この極めて少年バトルマンガチックな設定に若干疑問の声があったのも事実ですが・・・

 

 

最初の登場時が確か400戦無敗で、高田や船木と戦う頃には

500戦無敗になってましたからね~。いったいいつ100戦やってたんだか・・・

 

 

しかし、実際、道場№1と言われた道場破りにきた安生を返り討ちにするなど
ヒクソンは最強の男というカテゴリーにいました。

 

 

そして極めつけはUインターの高田を相手にして

高速タップを連発させるなどプロレスラーを手玉に取り、

柔術№1と言わしめます。

 

 

喧嘩最強ケンドー・ナガサキは

ゴルドー兄には勝ったのですが、2戦目は瞬殺されました。

 

 

更にグレイシーより少し後に脚光を浴び始めたミルコクロコップ。

 

元々イチK-1ファイターでしたが、総合で成り上がったたミルコは

当時の話題を集めるマッチメイクに乗る様に、プロレスラーとの対戦が実現。

図式的に“プロレスハンター”とも言われる様になりました。

 

このミルコ・クロコップに永田、藤田と完敗。

 

 

hujitakazuyuki_mirukokurokoppu

 

 

更にエミリヤーエンコ・ヒョードルにも勝てませんでした。

 

あの小川もヒョードルには成すすべなく

腕十字で完敗とプロレスラーは虚構の存在となりました。

 

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またカシンもハイアン・グレイシーに負け(後にリベンジ)、
小原も道場最強を引っ提げるも判定に持っていくのがやっとの状態でした。

 

 

余談ですが、中西は無謀にもK-1チャレンジで撃たれまくりでしたが。

 

 

「プロレスラーは本当は強いんです。」桜庭の叫び

 

 

そんな中出てきた桜庭。

 

本当はピンチヒッターだったのですが、
相手は因縁のグレイシー一門マーカス・コナン。黒帯です。

 

 

結果は見えていたのですが、予想を裏切る勝利を見せます。

 

 

それから、ハイアン、ホイラー、ホイスグレイシーを撃破しました。

 

実際この時は総合選手でもグレイシー一族に苦しめられていましたから、

衝撃は凄かったでしょう。

 

 

冒頭の一言は一戦目の後のマイクパフォーマンスですが、
プロレスファンが一番聞きたかった言葉でしょう。本当にそう思います。

 

 

あのグレイシー一族を何人も撃破したという事実は誇らしいです。

 

 

また、プロレスファンがなんで喜んだかと言うと、そのファイトスタイルです。

 

 

ストッピングやモンゴリアンチョップなどプロレス技を織り込んだり、
入場の際にはマスクを着用するなど

ショーマンシップも忘れない所だったでしょう。

 

 

桜庭はプロレスの宝です。

 

 

 

 

 

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「虎ハンター」「フィッシャーマン」小林邦昭について語ってみた!

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「虎ハンター」「フィッシャーマン」小林邦昭について語ってみた!

“サンペイちゃん”って聞いて、
ああ、あのレスラーかって分かる人は通ですね!

 

 

“サンペイちゃん”は新日のJr戦線を支えた小林邦昭のニックネームです。

 

 

小林と言えば、現在ではブログなどで見る
料理が大好評で女子力のあるプロレスラーとして有名です。

 

 

実際、ブログなどを覗くと大変おいしそうな
料理の写真がアップされている事に驚きを感じます。

 

小林邦昭のTwitterアカウント名もセンスの良さを感じ思わずニヤリ( ̄▽ ̄)

 

 

 

という訳で、今回は小林邦昭を振り返ってみましょう!!

 

 

 

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新日ジュニアを支えた小林邦昭とは

 

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小林は1956年生まれの新日所属のプロレスラーでした。

 

 

現在は引退して、解説や新日の役員として現在も活躍されていますが、
実はガンを患い手術をしていた事を後日、
前田と佐山の対談の中で明かされており、現在治療中です。

 

 

さて、小林と言えば大食漢として有名で
レストランのメニューを総ナメしたとか、
あまりに食べ過ぎるので、プロレスラーになったなど
その手のエピソードには事欠きませんでした。

 

 

新日で初代タイガーとの抗争後は長州の維新軍に参加して、
更にその後のジャパンプロレスにて、
全日参戦2代目タイガーとの抗争から新日Uターン後、
誠心会館との抗争を経て、反選手会同盟(平成維震軍)に参加しました。

 

 

その後は新日正規軍やWARとの抗争などを繰り広げ、
2000年にライガー戦にて引退しています。

 

 

几帳面で真面目な人格は後輩、先輩関わらず人気を博しました。

 

 

後輩の為に飲み代のみならず送迎をこなすなど、見習うべき点は多いです。

そして、礼儀にも厳しくその事が誠心会館との抗争のスタートとなりました。

 

 

赤いマーシャルアーツのパンタロンを上手く着こなしたのは
小林邦昭だけではないでしょうか。

 

 

初代タイガーとの抗争では悪役としてブレイクしましたが、
あの赤いパンタロンを見ると、ベニー・ユキーデを思い出します。
(マーシャルアーツ=ベニー・ユキーデでしたから)

 

 

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小林邦昭と云えば・・・「虎ハンター」!

 

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虎ハンターって言葉を知っていますか??

“虎ハンター”っていう言葉を知っているのは、昭和世代でしょう。

佐山タイガーのマスクを剥がしにくる様子は、当時はドキドキしたものでした。

 

 

ヒーローの正体がばれるというドキドキと
小林の憎らしい程のファイトスタイルは新鮮であり、
ちょっと格好いいとも思っておりました。

 

 

その後、全日に移り三沢タイガーとの抗争も始まり相変わらず虎ハンターでした。

王座決定戦だったと思いますが、
フィッシャーマンズスープレックスの改良版で勝利した時は、感動でしたね。

 

(その後三沢のエグイスープレックスで負けましたが、

あの技は封印される程の危険度でした)

 

 

小林と言えば新日ジュニア戦線において大変貴重な存在でした。

 

 

佐山タイガー、ダイナマイトキッド、コブラ、ライガー(デビュー戦の相手)と
時代を代表するレスラーと対戦しています。

 

 

ヘビー戦線でも野上(AKIRA)と組んでUインターと戦ったりしています。

 

とにかくいろんなスタイルの選手と戦っているのですが、
小林スタイルは変わらず(コスチュームは変わった事もあります)
相手に合わせつつ、自分の懐の中で試合を組み立てるといった感じでしょうか。

 

 

良く、ダークヒーローという言葉がありますが、そんな感じでした。

 

 

トラースキックからのフィッシャーマンは定番コースでした。

 

 

今でこそいろんな人が進化型を使っていますが、
いやいや、小林邦昭のフィッシャーマンが一番クールである!!

と言わせて頂きたい。

 

 

kobayashikuniaki_fissha-mann

 

名付け親は古舘伊知郎さんらしいです。

 

 

因みに、フィッシャーマンの容量で抱え上げて垂直落下させる

ライガーの技がありましたね。

 

 

最初は技名は確か公表されてなく・・・

後に「フィッシャーマンバスター」と命名されましたが、

過激化の一途を辿る中で発案された

ワビサビの無い技という認識でいます(笑)

 

 

なんにせよ、フィッシャーマンと言えば小林邦昭。

これは間違いの無い所であります!

 

 

陰に徹した小林そして現在はSNSで表へ

 

 

マーシャルアーツという言葉を一般的にしたのは小林の功績でしょう。

 

 

情報だけのベニー・ユキーデより分かりやすかったと思います。
また、佐山タイガーの成功は小林のヒールラフファイトがあったからでしょう。

 

 

また、小林は後日長州のサポートに徹したいとも語っており、
浜口のような参謀的な役割を目指しているとも言っていましたが、

 

 

それが後の維震軍での立場で実現しています。

 

 

現在ではグルメSNSでの小林の方が有名ですが、
プロレスラー小林ももっと魅力的です。

 

 

ぜひ、YouTubeなどでチェックしてみて下さい。

 

 

 

 

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“稲妻戦士”木村健悟について語ってみたい!その②

この記事は約 4 分で読めます

“稲妻戦士”木村健悟について語ってみたい!その②

木村健悟についてぬぉぉ~と語っていたら、一回で終わらなかったので、後編です!!

 

 

本題に入るまえに健悟の副業について触れておきますか・・・。

 

 

健悟は実はレコードデビューしていたんですね~。

 

これはプロレスファンの間では有名ですよね!!

 

しかし、売れなかったです・・・

 

甘いルックスと美声だったのですが、いまいちでしたね。

 

 

更に、引退後はあの円天興行の社長になったというニュースは
久しぶりに健悟の名前を聞いたのに残念でしたが。

 

 

その後、聞いたのは品川区議員当選だったので、良かったです。

 

 

他にもリサイクル会社を経営したりしていました。

割と経営的な才覚に目覚めたといった所だったのでしょうか。

 

 

プロレスラーとしての木村は不器用な男という

イメージもありますが、実は多才だったという所ですね!

 

 

それでは、後半です。

 

 

 

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木村健悟には不遇だった?ヘビー級戦線!!

 

 

木村健悟には不遇の時代が幾度もありました。

 

 

藤波のヘビー転向に伴い、ある程度Jrで成功を収め
ヘビーへ転向するもあまりぱっとしない時代が続きます。

 

 

特に第一次UWFでの抗争では、評価がガタ落ちでした。

当時のファンからは蹴りに対して逃げ腰だったという評判でした。

 

 

これがスタイルだったのかもしれませんが、弱さが出ていましたね。

 

 

UWF抗争後TPG(たけしプロレス軍)では
明らかに格下扱いに「たけし、俺が相手じゃ不満か」と吼えるも不完全燃焼。

 

 

その後、ブロディーとのタッグ対決では不本意な反則勝ち・・・と続き、

なかなかいい所が見せられませんでした。

 

しかし、そんな事だけではありません!

 

 

木村健悟の名勝負戦再度!!

 

 

さて、健悟の名勝負戦です。

 

 

不遇なヘビー時代でしたが、感動させられる試合もありました。

 

 

それがタッグリーグ戦での猪木・坂口組との対戦でした。

 

 

藤波と組んだこの試合は当初同点で並んだ
2チームの勝った方がブロディー・スヌーカと対戦する予定でしたが、
二人の全日移籍で決勝戦となりました。

 

 

二人の師匠に対して血気盛んに攻めていきます。

 

 

更に坂口はこの時足を負傷していましたが、
徹底的に狙い戦意消失まで追い込み、
最後は藤波のドラゴンスープレックスで
猪木からピン勝ちという感動の結末が待っていました。

 

感動しましたね!!

 

 

しかし、その後木村はまたもや低迷期を迎えたかに見えました・・・が!!

 

 

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反選手会同盟の結成は木村に訪れた転機だった!?

 

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しかしここで不遇だった木村に転機が訪れます。

 

 

それは越中と小林が勝手な行動により新日よりペナルティーを受けた事による、
反選手会同盟の結成でした。(後の平成維震軍)

 

 

ここでの健悟の役割は副将であり、参謀でした。

 

 

水を得た魚のように試合をする健悟の様子は良かったと思えるものでした。

 

 

ここ時もハイライトはいくつかありますが、対天龍戦を挙げたいと思います!

 

 

MR.プロレス天龍に積極的に向かっていく姿勢は本当に気持ちが良く、
稲妻も積極的に仕掛け、解説のマサ斉藤が「一皮むけた」と絶賛していました。

 

 

そして天龍へのパワーボムはハイライトでした。

 

 

しかし、最後は力尽き天龍のパワーボムに屈しましたが、
名勝負と呼べるものでしたね!

(青柳と斉藤の関与がなければもっと良かった!)

 

 

 

 

そして、更にもう少し時が流れてから実現した

もうひとつの名勝負、名場面は藤波との再タッグ結成でした!

 

お互い立場が敵対していた中で、藤波の呼びかけに応える形でタッグを結成しました。

 

これは勝負というより入場シーンにドラマが待っていました。

 

いつもの維震軍の赤い服に身を包んでいたのでしたが、
入場して赤のパンタロンを脱ぐと、そこには
なんと黒いショートパンツと黒の足のサポーターの木村健悟がいたんですね。

 

 

これだけで感涙物でした!

 

やはり健悟はこの格好だよ!! と思いましたね~。

 

 

結果は勝ち、ベルトを巻きましたが、
内容よりも個人的にはこの入場シーンが印象的でした。

 

 

健悟にとって平成維震軍は救いの神でした。

 

 

その後は体力の訪れとともに引退、解説を務め、

新日本プロレススカウト部長(?)の様な肩書で

スカウティングもやっていましたね。

 

 

“稲妻戦士”木村健悟ヒストリー、最後に。

 

 

木村健悟を評して付き人であった武藤は凄く楽だったと言うほど、
穏やかな人物というのはイメージ通りですが、
実はキレると誰も手が付けられなかったようです。

 

 

先日藤波と健悟で“ワンデイマッチ30周年トークショー”が行われ、
藤波と和やかに話していたというニュースを聞くと、
盟友という言葉を思い出しました。

 

 

健悟は目立たなかったとしても藤波には欠かせないタッグパートナーだったのです。

 

 

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藤波の歴史の中でタッグパートナーと言えば健悟しかいなかったと思います。

 

 

木村健悟のプロレス人生は人を立てるレスラー人生だったと思えます。

 

 

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