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天才武藤敬司の名勝負「ムタ対ニタ」

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天才武藤敬司の名勝負「ムタ対ニタ」

武藤のもう一つの顔ムタ!

 

 

独特の間合いとムタワールドに多くのレスラーが惑わされ、
更にその毒に飲み込まれていった名レスラーも多いです。

 

 

しかし、そのムタに噛みついた男がいました。

 

 

“邪道”大仁田厚!

 

 

大仁田は執拗にムタに迫りとうとう自身の世界
“デスマッチ”に引きずり込みましたね~。

 

 

ムタとニタ悪の化身の戦いの決着はどうなったのか!!

 

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ムタの本領発揮 ムタ対ニタ

 

nita_muta

 

 

結論から言うとこれはかなり力の差があったと言えます。
体格的にもレスラーの格的にも・・・。

 

 

長州戦ほどではないですが、かなり一方的で
ニタからすればFMWのリングを体現しようと爆破マッチを仕掛けるも
全てムタに持っていかれたというのが正直な感想です。

 

 

電流爆破も全て自分で食らうニタ。

 

 

見せ場は片足跳びの鎌攻撃、そして初めのムタを
爆破へと追い込んだ所でしょうか。

 

 

途中、DDTやパワーボムなどを出すも
単発で中々ニタのペースには持ち込めません。

 

ポーゴなどとの試合とは明らかに違います。

 

 

最後も呆気なく自爆、フォール負けという消化不良の試合かもしれません。

 

 

とにかくムタの凄み・巧さだけが光ったと言えるでしょう。

 

 

当時の試合を報じた週刊プロレスの増刊号の表紙には

 

ムタ、偽物ニタ殺しに成功!!

唯一武多

 

との文字が躍っています。

 

 

muta_nita4

 

 

悪の化身ムタと邪道の化身ニタ

 

 

元々ムタと言えば武藤のアメリカでのキャラであり、
武藤の悪の化身という形ではないんですね~。

 

 

アメリカで人気を博したカブキの息子として誕生して
敏腕マネージャーゲーリー・ハートの手により
キャラが確立された経緯があります。

 

 

しかし、初期のムタはトラースキックで試合の流れを変えたりして、
武藤との戦いとは一線を博し、ヒールになりきる事で人気を得て
アンチヒーロー的な流れになりました。

 

 

特にアメリカンヒーロースティングとの
悪と正義的な流れの抗争は大変受けました。

 

 

そして、満を持して日本に上陸すると
“ダークヒーロー”として武藤とは違う人気が出てきたという経緯なんです。

 

 

ムタは新しいキャラを確立しました。

 

 

一方、ニタは大仁田の悪の化身という事でキャラを作りました。

 

 

初めから言われていましたが、

ムタの真似(バッタ者)と言われていました。

 

 

ニタの登場は元々がポーゴとの抗争から生まれたもので
ポーゴ大魔王(ポーゴの化身)という形で
ムタ同様ラフスタイルの極限を見せつけました。

 

 

そもそもがムタのパロディーという事に端を発しているので、
ある意味コントのような動きをします。
必殺武器が鎌攻撃という訳の分からなさが持ち味です。

 

 

ムタとニタ化身同士の戦い この戦いの意味とは

 

nita_muta

 

 

ムタとニタの決戦は武藤がニタの存在に対して
当たり前のように嫌悪感を示した事から始まっているというのが定説ですが、
ここに至る大仁田の挑発もかなり効果的でしたね。

 

 

ここで思うのは、大仁田の対戦相手の豪華さです!

 

 

タイガー・ジェットシンやザ・シーク、テリー・ファンクの
レジェンド系のレスラーから天龍・長州まで引っ張り出す
その興行プロモーターとしての実力
レスラー以上の評価を与えていいのではと思います。

 

 

継ぎ足して言えば、長州の引っ張り出しは凄い物がありました。

 

 

キラーカーンは絶対長州は出て行かないと断言していましたし、
新日に有刺鉄線を持ち込んだ大仁田の政治力には脱帽します。

 

 

で、本題に戻りムタとニタの対決も
イントロから真鍋アナウンサーを巻き込んだコントのような作りから、
試合へと流れムタに敗れた後も大仁田劇場は終わりを告げず、
まだストーリーは残っていました。

 

 

そして、ニタは死んだという事になりましたが、
数年後には大仁田同様復活しました。

 

 

勝負には負けましたが、ムタとの爆破マッチを繰り広げた事で
ある意味大仁田の勝ちかもしれません。

 

 

試合はムタワールドかもしれませんが、
マッチメークまでは大仁田ワールドでした。

 

 

ムタ対ニタ・・・

 

 

大仁田もある意味天才的だったと言えます!!

 

 

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天才武藤敬司の名勝負「武藤対天龍」

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天才武藤敬司の名勝負「武藤対天龍」

ミスタープロレスと言えばあなたは誰を思い浮かべるでしょうか?

 

 

猪木、馬場と名前が上がりそうですが、
ここでは天龍と武藤を挙げたいと思います。

 

 

プロレスLOVEを貫き、プロレスのたくさんの
名勝負を生み出し続けた天龍と武藤。

 

 

この二人が対峙した事が事件であり、
勝敗度外視で楽しめる二人の勝負は多くの人を魅了し続けるでしょう。

 

 

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武藤と天龍のミスタープロレス対決

 

 

「ミスタープロレス」という名称を誰が考えたのでしょうか?

その言葉が出た時には必然的に「天龍こそがミスタープロレス」
という声が多かったようです。

 

 

それからミスタープロレス=天龍となりました。

 

 

それに“待った”をかけたのが武藤です。

 

 

互いにプロレスを代表する二人の対決は名勝負にならないはずがありません。

後日談ですがこの対決の後に武藤は天龍に敬意を評して

“ミスタープロレス”の称号を天龍に渡して、
自身は“プロレスマスター”という新たな称号を手にして言います。

 

 

天才武藤と痛みを教える天龍 お互い譲らない裏のかきあい

 

 

武藤と天龍は場所を変え、シングルで数回対戦しています。

 

もちろんムタ対天龍もあります。

 

 

その中でも1999年5月3日の福岡でのIWGP戦は
年間最高試合の栄誉も勝ち取っています。

 

 

mutou_tenryuu3

 

 

天龍が新日に乗り込み辿り着いたトップとの対戦、
更に新日の象徴IWGPタイトルマッチは盛り上がりました。

 

 

天龍と言えば大一番になると意外な大技を見せる事で有名ですが、
この日は雪崩式のフランケンシュタイナーでした。

 

 

天龍と言えば、あまりアクロバッティックな技は見せないのですが
(ドロップキックもあまり見た事はないです)
まさかのフランケンシュタイナーです。

 

 

どちらかというと古典的なプロレス技で

納得させるようなイメージがありますが、
晩年の方になる天龍の意外な攻撃です。

 

しかし、最後はホームリングの意地を見せた武藤が勝ちます。

 

 

そして、次の舞台は全日の宝三冠戦です。

 

 

当然、この試合も熱戦となります。

 

 

二人の戦いは予想以上の噛み合いと相性の良さを見せて、
互いの持ち技を駆使して観客を熱くします。

 

 

天龍のノーザンライトボムや掟破りのシャイニングウィザード、
武藤も負けじと本家シャイニングウィザードなどで反撃します。
この時は天龍に軍配が上がります。

 

 

そして、ムタ対天龍戦もこれまた見応えのある試合となりました。

 

 

天龍源一郎VSグレート・ムタ

 

 

ムタ対天龍の初対決を収めた当時のVHSには
こんな解説文が載っています

 

 

muta_tenryuu_19961011oosaka

 

 

天龍の鉄拳か、ムタの毒か!?
大阪の夜が魔界に飲み込まれた

 

 

遂に実現した天龍vsムタ、初の一騎打ち!

 

悪の化身グレート・ムタが変幻自在の残虐ファイトを繰り出せば、
その猛攻に耐えた天龍が怒りのグーパンチで反撃。
想像を遥かに超えた激闘に、W.A.Rマットは文字どおりの修羅場と化した。

 

 

こちらは天龍の試合には珍しい流血戦となりました。

 

 

スーパーヒールとしてムタの存在感が際立った試合でした。

 

 

後日談としてこの試合を武藤の義父が見ていて、えらく不評だったそうです。

 

 

この試合はムタの間のとり方がとても巧く、
この独特のリズムに天龍が乗り切れていない様子が前半戦は見られ
その事で苦戦を強いられています。

 

 

場外での机パイルドライバーはホントにエグイ!
圧倒的なムタワールドが展開されていきます。

 

 

WARマットだったのですが、机に置いてのムーンサルト、
側転エルボーなど中々見せ場が多い・・・

 

 

そして、決着もパワーボムに毒霧発射にめげず、
もう一回パワーボムでピン勝ちです。

 

 

ムタワールド、天龍ワールド全開でした。
17分位の試合でしたがもう満足です。

 

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二人のプロレスの理想はここにある

 

 

二人の戦いはプロレスの極限を見極めるような凄い戦いでした。

 

 

古典プロレスを継承する天龍と新しいプロレスを創造する武藤。

 

 

二人の科学融合は更に進化したプロレスを作りだしました。

 

 

また、二人の共通項として他人の技をパクリでなく
自分のオリジナルにしている点でしょう。

 

 

武藤のスタイルがフレアーや藤波に似ているという指摘も
四の字固めもドラゴンスクリューも結局は自分の技にしています。

 

 

天龍に至ってもパワーボムや大一番で見せる
対戦選手の得意技も天龍の技でしょう。

 

 

muta_tenryuu2

 

 

天龍が引退した事でもう対戦はないでしょうが、もう一度ぐらいみたいですね。
総合にはないプロレスの奥深さを見た思いがします。

 

 

天才武藤敬司の名勝負「ムタ対リック・フレアー」

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天才武藤敬司の名勝負「ムタ対リック・フレアー」

アメリカで成功する事って難しいですよね!

 

それはどんな職種でもそうですよね。

 

 

しかし、そんな中で武藤が

グレート・ムタとして大成功した事は

特筆すべき事ですよね~。

 

 

実際、「ムタ」の人気は凄まじく、当時のNWAで
トップヒールとして地位を確立していました。

 

 

その事を証明したのがアメリカンプロレスの
”ミスタープロレス”リック・フレアーとの対戦です!

 

 

上手いプロレスを展開する二人の試合時間は短いですが、
大変見応えがありました。

 

 

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武藤がリック・フレアーと対戦する意味

 

 

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天才武藤がグレート・ムタとしてアメリカで成功した事は、ビッグサプライズでした。

 

 

グレートカブキ以来の純粋な成功と言えるでしょう。

 

 

きつい事を言うようですが結構日本では成功と言っていても、
単なるローカルヒーロー的な扱いという事は多々ありました。

 

 

ムタが成功したと感じられるのは、やはり当時のビッグヒーロー
“スティング”との抗争です!

 

 

これがNWA(WCW)のドル箱カードとなっていた事でした。

 

 

当時ルックスもあり、レスリング技術もあったスティングを
WCWがスターへと押し上げたのは当然でした。

 

 

そして、その相手としてムタが選ばれたのは、
純粋に武藤のレスリング技術の高さから成せることでした。

 

 

そしてそのムタが本格的に認められたと感じられたのは、
あのフレアーと対戦した事でも分かります。

 

 

フレアーと言えばアメリカンプロレスの「象徴」とも言える存在。

 

 

アメリカのレスラーでも中々対戦できる訳でもありません。

 

 

そのような状況の中でムタがフレアーと対戦するという事は
驚くべきことであり、アメリカで真に認められたと言えますね!

 

 

ムタとフレアー戦の見所は裏の読みあい

 

 

ムタとフレアー。千両役者は揃いました。
時は1989年のスターゲートでの勝ち抜き戦での1回戦での対決。

 

 

参加メンバーはムタ、フレアー、スティング、
レックス・ルガーという当時のスターの中にムタがいました。

 

 

そして二人の入場が始まり、観客のボルテージも上がってきます。

 

 

この時のムタは高熱で体調はすぐれませんでしたが、
結果的にはそれがいい方向になったような気がします。

 

 

フレアーの入場は流石スーパースターという感じでしたが、ムタも負けていません。

スピーディーな展開から“高速エルボー”などを繰り出すムタに対して
フレアーは逆水平チョップで反撃!

 

フレアーは小さいけど強さが身についています。

 

 

そして、休み暇もなく試合は動きます。
フレアーのニークラッシャーから伝家の宝刀“足4の字固め”が出ます。

 

 

「勝負あり!」と思った瞬間、場外でセコンド陣が乱闘を始めると言う
いかにもアメリカンプロレスな展開に気をとられている間に
ムタはアバランシュ・ホールドからムーンサルトへ移行する
必殺パターンでフィニッシュを狙いますが、これを読んでいたフレアーは膝を出し、
悶絶するムタを一気に首固めで丸めて終わります。

 

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ムタが本当のアメリカンスターとなった

 

 

以上がムタとフレアーの貴重な対戦でした。

 

 

その時間わずかに3分程でしたが、この時は
一日でトーナメントをクリアしなければいけなかったので
フレアーは省エネプロレスでした。

 

 

しかし時間が短いとはいえ、かなり密度の濃い試合となりました。
この二人だからこそ見せられた試合だったでしょう。

 

玄人好みという試合でした。

この後二人が交わる事はありませんでした。

 

WCWタイトルを賭けて戦って欲しかったですが。

しかし、これはムタが認められた夜だったでしょう。

 

日本人でここまで行けた選手はいなかったと思います。

 

 

追記ですが、その後ムタはもう一人のアメリカンヒーロー、

ホーガンともシングルで対戦しています。

 

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二人のリアル・アメリカンレスラーと対戦するというのも凄い事です。
天才ムタの懐の深さを感じますね!

 

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天才武藤敬司の名勝負「凱旋帰国、藤波との試合」

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天才武藤敬司の名勝負「凱旋帰国、藤波との試合」

武藤の魅力はどんな試合も面白くしてくれる事ですね!
相手がどんな相手でも楽しませてくれます。

この事はあのもう一人の天才三沢選手も認めています。

 

 

このようにいろんな選手から認められている武藤。

 

 

その武藤の若い頃の試合に名勝負があります。
それは、武藤と藤波の戦いです。
この試合には色々な評価が出てきました。

 

 

それは、なぜだったのでしょうか!?

 

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スペース・ローン・ウルフ時代の武藤

 

 

“スペース・ローン・ウルフ”というキャッチフレーズを知っていますか。

 

 

これはプロレスを引っ張り続ける武藤の若手時代のキャッチコピーです。

 

 

デビューしてから若手の有望格として進化していた武藤は
アメリカフロリダの海外修行へと旅立ちます。

 

 

そこで“ホワイトニンジャ”(すごい適当なリングネームですが)
というキャラクターで活躍すると
フロリダーヘビー級のタイトルに挑戦するなど
(実際は勝ったのですが、反則負け裁定でした)、
分かりやすい実績を引っ提げて鳴り物入りで凱旋帰国しました。

 

 

ヘルメットを被り、銀ラメのジャケットで入場する姿は微妙でしたが・・・(笑)

 

新時代の到来を予想させる武藤の凱旋でした。

 

因みに、当時を振り返って後年、

 

 

アイドル的に売り出された事は抵抗なかったよ。
ヘルメットも自分から被りたかったわけじゃないけど、
「たぶんジャニーズだって、そんなもんじゃないかな」って

 

 

と武藤は語っています。

 

 

そして、凱旋した武藤は当時トップであった藤波と
シングル2番勝負をするという破格の待遇で日本マット再デビューを果たしました。

 

 

武藤対藤波戦の「意味」とは!?

 

 

思えば凱旋試合と言えば、たくさんのレスラーの門出みたいなもので
大体安全運転みたいな形で親善試合的な要素もありそうですが、
武藤に課せられたのは藤波でした。

 

 

思えば、藤波は長州が凱旋して6人タッグでの中で仲間割れして
踏み台的な役割を果たした事もありました。

 

(実際は藤波の評価も上がりましたが)

 

 

また、初代タイガーマスクはジュニアの雄ダイナマイト・キッドでしたので、
強敵との凱旋試合はあるでしょうが。

 

 

当時、武藤・藤波戦はやる事の意味合いはかなり疑問視されていました。

 

 

また、2戦連続という事も疑問視されました。

 

 

当然、藤波のメリットは全くないのですから。

 

 

若手の門番としての役割は

他のレスラーでもいいのではないのかとの意見も多かったです。

 

 

しかし、藤波と武藤というプレロス界随一の引き出しの多さを誇る二人ですので
面白い試合でしたが、フィニッシュにも多くの疑問が集中しました。

 

 

2戦とも武藤のムーンサルトを藤波が膝でブロックした後、

首固めで丸め込むという結果でした。

 

まるで同じシーンをビデオで見せるかのように。そして仁王立ちの藤波。

 

 

その事が批判を浴びました。武藤ではなく藤波に対してです。

 

「もっと力の差を見せつけろ」

 

「首固めでなく、がっちりとしたフィニッシュホールドで」

 

などなど多かったのですが、しかし、藤波がここで
ドラゴンスープレックスなどで完膚無き決着をすると

武藤の評価はがた落ちですし、2戦も組まれているのに興味は薄れます。

 

そんな大人の事情を考えた結果、
武藤の甘さを見せ首固めでのフィニッシュと相成ったのではないでしょうか。

 

 

その事で武藤は再度アメリカに渡りトップヒールへとなれたのではと考えすぎます。

 

 

時を経て三冠戦で対峙する武藤と藤波

時は過ぎて2010年には、再び二人が相まみえます。

 

お互い立場が変わった状態での対戦です。

 

 

3冠王者武藤と挑戦者藤波。感慨深い対決です。

 

 

以前の対決では全くメリットのない対決だったと言わざるを得なかったのですが、
今回は藤波は敵団体(全日本)の至宝のベルトに挑戦するという偉業と
武藤も成長した姿を見せつける良い機会でもあったでしょう。

 

 

当然試合は盛り上がり、藤波の掟破りの逆シャイニングウィザードも飛び出し、
武藤は逆に藤波のドラゴンスクリューを繰り出すなど一進一退の攻防が続きました。

しかし、ピークを過ぎた藤波は力尽きて

“シャイニングウィザード5連発”で藤波の団体制覇の野望を打ち砕きました。

 

余談ですが、最近では藤波のプロレス45周年の記念試合で

タッグで対戦するなど交流が続いているのは朗報ですね!

 

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天才武藤敬司の名勝負「武藤対高田」

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天才武藤敬司の名勝負「武藤対高田」

お久ぶりの投稿となります!

 

 

本日は武藤です。ちょっと武藤について続けていきます

 

 

プロレス界ではたくさんの天才と呼ばれるレスラーがいますが、

武藤敬司に勝る選手を探すのは難しいでしょう。

 

 

武藤は沢山のプロレスラーがいる中で「天才」の高評価を受けています。

 

 

それには理由があり、マニアックな話になりますが、

武藤の試合には塩試合という物が少ないのです。

 

 

いい意味での“魅せるプロレス”なんです。

 

 

上手くアメリカナイズされた試合が多く

ストロングスタイルと言われた新日本にあって

どちらかというと往年の全日本プロレスに近かったのです。

 

(なぜ、新日本を選んだのだろうと思いますが)

 

 

そんな武藤選手の試合の中で名勝負を振り返ってみたいです。

 

 

まず一発目は、これはもはや欠かす事が出来ない・・・

ベストバウトの声も高い武藤対高田戦!!

 

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武藤対高田、新日本対Uインター伝説の10.9東京ドーム!

 

高田延彦入場シーン

 

背景はUインターと新日本の究極の対抗戦

 

 

この試合の背景として、まず触れないといけないのが

新日本とUWFインターの関係性ですね!

 

 

まず、新しいプロレスの形を求めて

佐山タイガー、前田、高田と去った後に作ったのが第一次UWFでした。

 

 

この時は、限りなくスポーツに近いプロレスを求めたプロレスで

コアな人気を誇るも破綻し、新日本に出戻ります。

 

 

そして有名な「長州顔面蹴り事件」が起き、新日とUWFの関係は破壊されます。

そして前田はリングス、高田はUWFインターを立ち上げます。

 

 

新格闘王としてマニアックな人気を誇った前田に比べて、

高田は異種格闘技路線を中心にスピンクス、オブライト、ベイダーを撃破しますが、

興行的に行き詰まり新日に戻ってきます。(全日行きも噂されました)

 

 

そんな状況の中、実現した武藤対高田戦は当然盛り上がりました。

 

 

もはや異常とも思える熱気で、そもそも

この対抗戦の10.9東京ドームが決まった時の長州の

「よし、押さえろ!」がそもそも衝撃的でしたね!

 

 

一回目が東京のIWGP戦、二回目が福岡となりました。

どちらも白熱した試合となりました。

 

 

武藤対高田 2戦の見所とポイント!

 

 

武藤と高田は2度戦っています。結果から言うと1勝1敗!

東京と福岡のドームで戦った試合でした。

 

 

どちらの試合が凄かったかというとこれは好みの分かれる所ですが、

個人的には武藤が4の字固めで勝った試合ですが、福岡での試合も興奮しましたね!

 

 

現在夢の対決と言われると答えられませんが、

この当時はまさしく想像出来ない対決で実現不可能とも言われていました。

 

それが実現したから会場全体のボルテージも上がりぱなっしで、

入場シーンから格好いいです。

 

 

プロレス伝説の名場面。高田延彦入場。

 

 

高田と武藤本当に絵になります。武藤のアメリカンスタイルに対して、

高田は今と違い寡黙に花道を歩いてきます。この時点で武者震いが止まりません。

 

 

試合は余計ながら噛みあうのか?と思っていましたね!

 

なぜなら高田は従来のプロレスからより異種格闘に近いスタイルで戦っていて

そこに“純なプロレス”を繰り出す武藤との調和は・・・と思っていましたが、
グランドの攻防も見応えがあり、高田のハイキックに耐える武藤。

 

 

緊張感漂う展開は手に汗握る!!

 

 

結果として試合が上手く噛みあった理由は武藤のバックグランドにあったでしょう。

 

 

派手目な武藤ですが、実際は柔道の強豪選手としての

バックグランドがあるから当然グランドも上手いはずです。

 

 

そして、2試合を通じてのポイントは武藤の“足4の字固め”
高田の“腕しぎ逆十字”です。もう一つ付け加えれば“ドラゴンスクリュー”でしょうか!

 

 

この頃は武藤のスタイルの変革の時を迎えていた頃だったと思います。

 

 

派手目なフィニッシュが特徴の武藤が

 

 

スペースローリングエルボー→フェイスクラッシャー、→ムーンサルト

 

 

の流れから脱却しつつありました。

 

 

裏話というか、プロレスファンなら誰もが知る所ですが、膝の具合が限界になり

毎試合の様にムーンサルトを出せなくなっていたという事情があるでしょう。

 

 

そこにこの大舞台で魅せた「ドラゴンスクリューからの4の字固め」
新たなフィニッシュとしてファンの脳裏に刻み込まれ、

定着していく流れとなったのでした。

 

 

高田の腕ひしぎは当時のUインターのスタイルを考えると妥当ですけどね!

 

 

とにかく武藤を持ち上げる訳ではないですが、

武藤だからこそこの試合は見応えある試合になったのではないかと思います!

 

 

そしてそこが天才の天才たる所以でしょうか。

 

 

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