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“稲妻戦士”木村健悟について語ってみたい!その②

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“稲妻戦士”木村健悟について語ってみたい!その②

木村健悟についてぬぉぉ~と語っていたら、一回で終わらなかったので、後編です!!

 

 

本題に入るまえに健悟の副業について触れておきますか・・・。

 

 

健悟は実はレコードデビューしていたんですね~。

 

これはプロレスファンの間では有名ですよね!!

 

しかし、売れなかったです・・・

 

甘いルックスと美声だったのですが、いまいちでしたね。

 

 

更に、引退後はあの円天興行の社長になったというニュースは
久しぶりに健悟の名前を聞いたのに残念でしたが。

 

 

その後、聞いたのは品川区議員当選だったので、良かったです。

 

 

他にもリサイクル会社を経営したりしていました。

割と経営的な才覚に目覚めたといった所だったのでしょうか。

 

 

プロレスラーとしての木村は不器用な男という

イメージもありますが、実は多才だったという所ですね!

 

 

それでは、後半です。

 

 

 

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木村健悟には不遇だった?ヘビー級戦線!!

 

 

木村健悟には不遇の時代が幾度もありました。

 

 

藤波のヘビー転向に伴い、ある程度Jrで成功を収め
ヘビーへ転向するもあまりぱっとしない時代が続きます。

 

 

特に第一次UWFでの抗争では、評価がガタ落ちでした。

当時のファンからは蹴りに対して逃げ腰だったという評判でした。

 

 

これがスタイルだったのかもしれませんが、弱さが出ていましたね。

 

 

UWF抗争後TPG(たけしプロレス軍)では
明らかに格下扱いに「たけし、俺が相手じゃ不満か」と吼えるも不完全燃焼。

 

 

その後、ブロディーとのタッグ対決では不本意な反則勝ち・・・と続き、

なかなかいい所が見せられませんでした。

 

しかし、そんな事だけではありません!

 

 

木村健悟の名勝負戦再度!!

 

 

さて、健悟の名勝負戦です。

 

 

不遇なヘビー時代でしたが、感動させられる試合もありました。

 

 

それがタッグリーグ戦での猪木・坂口組との対戦でした。

 

 

藤波と組んだこの試合は当初同点で並んだ
2チームの勝った方がブロディー・スヌーカと対戦する予定でしたが、
二人の全日移籍で決勝戦となりました。

 

 

二人の師匠に対して血気盛んに攻めていきます。

 

 

更に坂口はこの時足を負傷していましたが、
徹底的に狙い戦意消失まで追い込み、
最後は藤波のドラゴンスープレックスで
猪木からピン勝ちという感動の結末が待っていました。

 

感動しましたね!!

 

 

しかし、その後木村はまたもや低迷期を迎えたかに見えました・・・が!!

 

 

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反選手会同盟の結成は木村に訪れた転機だった!?

 

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しかしここで不遇だった木村に転機が訪れます。

 

 

それは越中と小林が勝手な行動により新日よりペナルティーを受けた事による、
反選手会同盟の結成でした。(後の平成維震軍)

 

 

ここでの健悟の役割は副将であり、参謀でした。

 

 

水を得た魚のように試合をする健悟の様子は良かったと思えるものでした。

 

 

ここ時もハイライトはいくつかありますが、対天龍戦を挙げたいと思います!

 

 

MR.プロレス天龍に積極的に向かっていく姿勢は本当に気持ちが良く、
稲妻も積極的に仕掛け、解説のマサ斉藤が「一皮むけた」と絶賛していました。

 

 

そして天龍へのパワーボムはハイライトでした。

 

 

しかし、最後は力尽き天龍のパワーボムに屈しましたが、
名勝負と呼べるものでしたね!

(青柳と斉藤の関与がなければもっと良かった!)

 

 

 

 

そして、更にもう少し時が流れてから実現した

もうひとつの名勝負、名場面は藤波との再タッグ結成でした!

 

お互い立場が敵対していた中で、藤波の呼びかけに応える形でタッグを結成しました。

 

これは勝負というより入場シーンにドラマが待っていました。

 

いつもの維震軍の赤い服に身を包んでいたのでしたが、
入場して赤のパンタロンを脱ぐと、そこには
なんと黒いショートパンツと黒の足のサポーターの木村健悟がいたんですね。

 

 

これだけで感涙物でした!

 

やはり健悟はこの格好だよ!! と思いましたね~。

 

 

結果は勝ち、ベルトを巻きましたが、
内容よりも個人的にはこの入場シーンが印象的でした。

 

 

健悟にとって平成維震軍は救いの神でした。

 

 

その後は体力の訪れとともに引退、解説を務め、

新日本プロレススカウト部長(?)の様な肩書で

スカウティングもやっていましたね。

 

 

“稲妻戦士”木村健悟ヒストリー、最後に。

 

 

木村健悟を評して付き人であった武藤は凄く楽だったと言うほど、
穏やかな人物というのはイメージ通りですが、
実はキレると誰も手が付けられなかったようです。

 

 

先日藤波と健悟で“ワンデイマッチ30周年トークショー”が行われ、
藤波と和やかに話していたというニュースを聞くと、
盟友という言葉を思い出しました。

 

 

健悟は目立たなかったとしても藤波には欠かせないタッグパートナーだったのです。

 

 

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藤波の歴史の中でタッグパートナーと言えば健悟しかいなかったと思います。

 

 

木村健悟のプロレス人生は人を立てるレスラー人生だったと思えます。

 

 

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“稲妻戦士”木村健悟について語ってみたい!

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“稲妻戦士”木村健悟について語ってみたい!

さて、プロレスを見ていると、
その人のスタイルがあるという事に気付く事は多いはず!!

 

 

受け身型(藤波や蝶野)、攻撃型(長州、橋本)
という風に大きく分ける事が出来ますよね!!

 

 

そこで損をするのは、受け身型です。

 

何か相手の攻撃を受けっぱなしで、

弱い印象を与える事があります・・・。

 

(受け身型でも上手く試合を進めていると強さは見えるのですが・・・)

 

 

そこで!!

 

 

ここで取り上げたいのが“稲妻戦士”木村健悟(健吾)です。

 

 

木村の印象ってどうだったかなと思うと、
強いというよりは、いつの間にか勝ってるという印象(?)でしたね。

 

 

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木村健悟のプロフィールは波乱万丈

 

 

実は木村健悟は相撲出身なんですね~。かなり意外ですよね。

 

 

スマートな印象であまり四股を踏んでいる姿は想像できません。

 

 

その後日プロ入団、新日移籍(坂口と一緒に)という手順を踏み、海外修行に出ます。

 

 

日プロからというとかなり経歴も古いですね。

 

 

そして、海外ではプエルトリコで悪名高いカルロス・コロンから
ベルトを獲っているという事は特筆すべきことです。

絶対的なプロモーターですから。

 

 

その後、“パク・チュー”というリングネーム(そういえば韓流っぽい顔)で
北米を転戦後、メキシコにも進出、

メジャータイトルも奪取するなどして凱旋帰国します。

 

 

帰国後は藤波とJrヘビー戦線を盛り上げるなどして、
自身もNWAインターJrのベルトを巻くなど順調にキャリアを発展させました。

 

 

しかし、ヘビー級に転向後はなかなかパッとした活躍も出来なかったのですが
藤波とのタッグでベルトを獲るなどしても大きなインパクトを残す事も出来ず、

言い方は悪いですが“引き立て役”の状態でした。

 

 

しかし・・・大きな転機が訪れます!!

 

 

越中や小林邦昭らが立ち上げた“反選手会同盟”に加入すると

今までの遠慮がちなファイトから、

わがままな強気なファイトを披露しました( ゚Д゚)

 

 

その後は体力の衰えから2003年に引退、色々な職を経て
現在は品川区の区議会議員に当選順調に第二の人生を歩んでいたのですが、
大病を患い手術を受けたりもしたそうです。

 

 

現在は品川区議員として活躍中です。

 

 

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木村健悟の全盛期っていつ?

 

 

木村健悟の一番輝いていた時期っていつだっただろうか!?

 

 

と考えると、うーん、はっきり分からないですね。

 

 

・・・やはりJr戦士の頃でしょうか?

 

 

藤波とのライバル物語もあったり、
チャボ・ゲレロとの名勝負もあったのですが、
ちょっと違うような気もします。

 

 

それともヘビー戦線!?

 

 

いや、藤波とのタッグでは成績を残していますが、
戦績はパッとしなかったような。

 

 

で、結論としては・・・

 

 

やはり反選手会同盟時代ではないでしょうか!!

 

 

 

何か吹っ切れたようなファイトは見ていて、
“健悟やるじゃないか”と思えました。

 

 

重荷が外れたようなそんな気がしましたね(^^)

 

 

木村健悟の名勝負戦はやはり藤波との対戦!!

 

 

木村健悟の名勝負と言えば、やはり藤波絡みではないでしょうか。

 

 

伝説のワンマッチ興行。

 

 

執拗な藤波への対戦要求からやっと実現したのが、この対戦でした。
1987年1月14日後楽園ホールでした。

 

 

これには因縁があり、肩透かしを食らい続けた対戦では簡単に負け、
更に気合を入れた対戦ではスパナ入りの稲妻レッグラリアートで勝つも
藤波で「これは何だ」と怒られるも「勝つ為には手段を選ばない」と

語った事から更に遺恨は激化。

 

 

そしてワンマッチ興行という前代未聞の戦いが始まり、
レフェリーは上田馬之助でした。

 

 

リングも特殊なリングで“痛みの伝わる”というよりは
プロレス本来のスタイルに戻ったような試合でした。

 

 

固いマットに叩きつけるボディースラムなど、
総合とは違う緊張感がありました。

 

 

健悟の攻勢は続くのですが、せっかくのボクシング戦法は上田に阻止され
更に勝負をかけた稲妻は藤波にキャッチされ、
そのまま藤波の波状攻撃についに逆エビでギブアップしてしまいます。

 

 

これは木村健悟の大勝負でした。ここで男をあげたような気がしますが、
この敗戦は大きなダメージとなり、武者修行に出ました・・・。

 

 

武者修行に出た後の木村・・・

レコードデビューした健悟の攻勢は続く!!・・・のか? 果たして!!

 

木村健悟ヒストリー、次の記事に続く!!

 

稲妻戦士”木村健悟について語ってみたい!!其の弐

 

 

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